水道工事で気づかされる、「水道」のありがたさ
子どものころ、隣に住んでいた方が横浜市の水道局に勤めていらっしゃいました。ある日、小学生の私が庭に水を撒いていると、「この水は遠くから旅をしてきているんだよ。ここでまた地面に吸い込まれて、水道に帰ってくるまでの旅が始まるんだ」と、教えてくれたことを今も覚えています。
神奈川県横浜市の広報紙『広報よこはま 平成30年1月号』に、「よこはまの水」という記事を見つけ、そんな遥か昔に聞いた話を思い出してしまいました。
記事が伝えるのは、「水道工事」についてです。集められ、きれいになった水は、水道管を通って各家庭に届けられます。水道管は、水の旅の最終章…といったところでしょうか。横浜市内に張り巡らされた水道管の長さは、なんと約9,200km。横浜からアメリカのロサンゼルスまでの距離とほぼ同じ長さになるのだそう。
その水道管の、高度経済成長期に設置された約2,400kmに及ぶ部分が老朽化し、取り替えなくてはいけない時期を迎えています。そのため横浜市では目下、年間約110kmを目標に古くなった水道管を取り替えているというわけです。
水道管を取り替えるのですから、当然、その間は断水しなくてはいけません。しかし、私たちにとって生命線である水のこと。横浜市では断水を最小限にするように工夫して、工事を進めているといいます。そのため同じ場所を何度も掘ることもあるようで、水道工事への理解と協力を求めていました。
私たちは、蛇口をひねると水がでてくることを当たり前のこととして、日々過ごしています。そして、その過程を想像することも、まずありません。それどころか水道工事で道路がふさがれ、少し迂回する羽目になっただけでも、イライラしてしまいがちです。
しかし、世界保健機関(WHO)によると、安全な水を飲めない人の数は世界で11億人以上おり、それは世界人口のおよそ1/6にあたるといいます。私たちは、過去も含めた、いろいろな人の努力によって、この便利な「水道」の恩恵にあずかっていることを、今一度、思い起こす必要があるのではないか―。「よこはまの水」は、水道から水がでる…という、当たり前のように感じてしまう日常について、考えさせられる記事でした。