他人事としないために…被災地の広報紙に想う
東日本大震災から7年。東京は、もう震災などなかったかのように日常生活を取り戻しています。しかし東日本大震災と、それに続く福島第一原子力発電所の事故により、多大な被害を受けた福島県楢葉町は、まだ復興の途上にあります。今回、7年経って改めて、楢葉町の広報紙『広報ならは 第578号 平成30年3月号』を読んでみました。
巻頭の特集「嗚呼、仮設住宅」には、震災後、一人ひとりがどのように暮らし、またこれからどのような生活を望んでいるかといった、生の声が寄せられていました。楢葉町で応急仮設住宅や借上げ住宅等への入居が始まったのは、震災から3か月後のこと。避難生活の中、長きにわたり不安な日々を共に過ごし、そうした生活の中で結ばれた温かな絆が、この特集からもうかがえます。が、7年目を迎えたこの3月の末、応急仮設住宅や借上げ住宅などの供与期間が終了します。こうした絆をほどくことなく、この節目を乗り越えられることを願わずにいられません。
そして特集「嗚呼、仮設住宅」に続く記事「Are you ready? どうぞ、ご無事にお引越しなさってください」には、引越しに伴う、さまざまな事務手続が時系列に沿って、きれいに整理され、掲載されていました。
ここには、就学手続きや粗大ごみの処理といった、通常の引っ越し手続きに加え、帰町後、希望者には水道水や町内でとれた食品、井戸水などの検査ができること、そしてその手続きについても書かれていました。地震だけではなく、その後の福島第一原子力発電所の事故によって楢葉町が受けた傷の深さを感じます。
震災直後は、私が暮らす東京エリアの駅や街中も、節電のために一部の電気が消され、どこに行っても薄暗くなっていました。しかし今や、そんなことがあったことを忘れたかのように、東京は光を取り戻しています。福島県は東北電力の事業地域ですが、福島第一原子力発電所は、東京電力の発電所。このような現実を鑑みると、未だに残る福島県の傷をうかがいしることとのない現在の東京の日常に、疑問を持たざるを得ません。
楢葉町の広報紙は、あの出来事を風化させないこと、そして私たちも楢葉町をはじめとする被災地の人々と共に歩むことの大切さを、教えてくれます。そこにある町民の方々一人ひとりの生活を想いつつ、ご一読されることをお勧めします。