読ませる広報紙に響く 「ありがとう」の言葉
福島県楢葉町の『広報ならは』は、“読ませる”記事の多い広報紙です。
東日本大震災から8年目を迎える今号は、「ありがとう」の文字とともに、心に響く“読ませる”記事であふれていました。
特集記事「ありがとう。」には、楢葉町の人々が、それぞれ「ありがとう」と思うことが語られています。「ありがとうって思うことがあり過ぎて困る」という木戸川のサケを守る漁師さん、「皆様のおかげで、今の私は元気に過ごしていられる」という楢葉に帰ってきたおばあちゃん…。長年、楢葉に住んできた人たちの言葉からは、この町のゆったりとした温かな雰囲気が伝わってきます。
また3年間の任期が満了し「ありがとうございました」の言葉とともに楢葉を離れる方や、「町中に『ありがとう』があふれるように」と楢葉に仕事を得て戻ってきた若い人…と、行く人来る人、それぞれの「ありがとう」の思いの詰まった話も掲載されていました。臨床心理士の岩倉さんは「身近な人と、たくさん「ありがとう」を交換して、ますます幸せになりましょう!」と特集を結んでいます。
同号には、ほかにも「幸福な老い~上手な老いの受け入れ方~」という“読ませる”記事も掲載されていて、この記事も「だれかの支援を受けたとき、素直に『ありがとう』の言葉を言えたなら、あなたは上手に老いを受け入れることができていると思います」と、「ありがとう」について語られていました。
東日本大震災の際、町のほとんどが東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内となる楢葉町の町民は、長期にわたり避難することを余儀なくされました。こうした事態に至るまで、私は無知なことに、この原発が東京で使われる電力をつくるためのものであることすらしりませんでした。都民として一度たりとも、楢葉町に「ありがとう」という思いを抱いたことのなかったことを恥じ、事故以来、罪悪感のようなものを抱いてきました。
あれから8年。楢葉町の広報紙で「ありがとう」の言葉とともに、町民の方々の笑顔を窺うことができて、少しほっとしました。そんな声を届けてくれた広報紙に「ありがとう」という思いです。これから9年、10年と、もっともっと楢葉町に「ありがとう」があふれていくことを願いながら、これからも『広報ならは』を楽しみに読み続けたいと思います。