“適切なお知らせ”目指して…『広報ならは』 600号
福島県楢葉町の広報紙『広報ならは 第600号 令和2年1月号』に、「愛されて600号 わたしたちの歩み ―あの頃楢葉町は―」と題した記事が掲載されていました。
『広報ならは』の第1号が発行されたのは、昭和39年6月。ちょうど前回の東京オリンピックが開催された年であったといいます。折しも高度経済成長期の真っただ中で、現在のJR常磐線の草野〜岩沼間が汽車から電車になることが決定した年でもあったといいます。
この汽車の「電化」に象徴されるように、これ以降、日本は経済の大きな発展と、それに伴う生活の変化が起きました。しかしバブル期に豊かさを謳歌したのもつかの間、その後は、バブル経済の崩壊、東日本大震災…と苦しい体験が続きます。そして、こうした経験を通して、これまで信じてきた高度経済成長の先にあった「大量生産大量消費」による便利な生活を問い直す声も、出始めるようになりました。
高度経済成長期に「電化」の喜びを報じた第1号から50数年を経たこの600号には、奇しくも、「よく聞くあれってなんだろう? 『SDGs(エスディージーズ)』」という記事も掲載されています。SDGsとは、国連サミットで採択された国際目標で、持続可能な世界を実現し、地球上の誰一人として取り残さないことを誓ったものです。「大量生産大量消費」の経済成長から、「持続可能な社会」の実現へ…。時代の変化が、『広報ならは』の歩みから見て取れるようです。
第1号あとがきには、「広報ならはは町の仕事のあらましを皆さんに適切にお知らせする広報であります」との記載があったそうです。600号の記事は、その記載に触れ「600号を経た今の広報紙はいかがでしょうか? 適切なお知らせとなっていますか?」と、問いかけていました。
私はマイ広報紙のコラムを書くようになってから、『広報ならは』をよく読むようになりました。その中で感じたのは、悲しみよりも希望に、喪失や断絶よりも新たに生み出される絆に、光をあてて報じていくという『広報ならは』の一貫した姿です。今、求められる「適切」とはどういうものか、問い続けられてきたのではないかと思います。「適切」には、時代とともに変わるものと、変わらないものがあるからです。
これからは、ますます変化の激しい、課題山積の時代になるでしょう。『広報ならは』の「適切なお知らせとなっていますか?」』と問い続けていく姿勢を、これからも陰ながら応援していきたいと思っています。