「トイレに添えられている花」から思うこと
人間関係が希薄になった…といわれている昨今。ちょっとした他人の心遣いに気づいたとき、なんとも心が満たされた思いになることがあります。今回ご紹介するのは、そんな体験を伝える、大分県九重町『広報ここのえ 平成30年4月号』のコラム「4月のハート降る♥ここのえ」です。
コラムは、九重町役場のトイレに添えられている花の紹介から始まります。ある日、筆者は、この花がさりげなく置かれる場面に出くわし、それが庁舎の清掃作業をおこなっている方の手によるものだということを知ります。もちろん、そんな予算が用意されているわけではありません。そこで尋ねてみると、役場内で不要になった花やご自身で持参した花を活けているとのこと。自らが清掃したその場をより心地よくしたいという思いなのでしょうか。皆に喧伝することもなくおこなわれていた、この優しい行動にいたく心を打たれたといいます。
この話を読んで、私は上野駅の新幹線ホームにあるトイレを思い出しました。いつもきれいに清掃されたそのトイレには、鶴などを折った「折り紙」が置かれています。そんな心配りをなさっている、このトイレの清掃を担当されている方に、私もいつかお目にかかりたいと思っていました。そして、少し前、やっと清掃場面に出くわすことができましました。「いつも本当にきれいですね。ありがとうございます」と思いを伝えると、満面の笑顔で「きれいなトイレって取材されたこともあるんですよ」と、誇らしげに、きれいなトイレの工夫ポイントを話してくださいました。
私たちの日常は、こうしたいろいろな人々の力で成り立っているのだと改めて考えさせられます。そしてそうした人々のさりげない心配りに触れたとき、なんとも心温まる思いがします。それは希薄になったと言われている人と人との関係性を取り戻せたような安堵感かもしれません。
この『広報ここのえ 』のコラム「4月のハート降る♥ここのえ」は、町の皆に伝えたい「ちょっといい話」「心あたたまる話」を掲載しているそうです。“住みたい町”“みんなでつくる町”といったスローガンより、私はこうした「人」のエピソードに、心を揺さぶる力があるような気がしています。