図書館に設置された「小学校の国語の教科書にのっている本」コーナーの意義とは?
福井県の広報紙『おでかけふくい(イベント情報)(平成31年4月15日掲載)』掲載の福井県立図書館に「小学校の国語の教科書にのっている本」コーナーが設置されたという記事に目が留まりました。同コーナーには、福井県の全市町で採用されている小学1~6年生の国語の教科書(光村図書出版)に掲載されている本が集められていて、貸し出しもしてくれるとのことです。
国語の教科書に載っている「文章」の多くは、本来、長かった「文学」の一部が切り取られ、掲載されています。子どもによっては、続きが気になることもあるでしょう。このコーナーに立ち寄れば、そうした好奇心を満たすことができます。
それだけではありません。「小学校の国語の教科書にのっている本」を出典までさかのぼって読むことは、とても重要なことだと私は考えています。なぜなら、教科書は「文学」のなかのある限られた部分だけを切り取っているわけですから、全体を読んでみたら、著者のテーマ性を反映した部分は切り捨てられたほかの部分に書かれていた…ということがあるかもしれません。また全体を通して読んでみて、初めて物語の登場人物のことが理解できるということもあるでしょう。
もしかしたら、国語の教科書は本に出合うためのインデックス、あるいは予告編と考える方がいいのかもしれません。そういえば、私が小川未明の文章に魅せられたのは、教科書がきかっけでした。小川未明の作品は日本文学全集にこそ収録されていましたが、夏目漱石のようなメジャーな作家とはいいがたく、もし教科書で出合わなければ手に取ることはなかったかもしれません。以降、何年にもわたって小川未明の本を読み漁ったことを考えると、教科書は“試し読み”のよい機会を与えてくれたことになります。
子どもが教科書に載っている「文章」が面白いと思ったら、すぐさま本を手に取り「文学」として読む。そんな教科書との関係を実現してくれるコーナーが図書館に設置されているのですから、福井県立図書館の近くの子どもたちは、ぜひ利用してほしいと思います。
同コーナーには、県内の小学校で使用されている全教科の教科書も、館内閲覧用に揃えられるといいますから、私のような年齢の方も、ちょっと立ち読みしてみるといいかもしれません。教科書は時代を、文化を、社会を映す鏡でもあるので、おとなにも新たな発見がありそうです。