子どもたちの居場所を 地域の力で
先日、いろいろな世代の方と昼食を共にする機会がありました。そこで話題になったのは、小学生時代、放課後をどのように過ごしていたか。まず50代の私は家の周りの空き地でバッタを追いかけていたという話をしました。すると、40代の方は、自分の家やお友達家で過ごした、と。さらに20代の方は、低学年は学童保育で、高学年からは塾だったと話されました。
ここまで話したところで私たちは、それぞれの過ごし方が、時代を反映しているということに気が付きました。高度経済成長期に小学生だった私は、造成中の住宅街の空き地が遊び場でした。40代の方は、専業主婦がほとんどだった時代でしたから、いろいろな家でおやつをご馳走になりながら過ごせました。20代の人になると、共働きが多くなったため、学童保育や塾など、子どもの居場所を各家庭で選択し、そこで過ごすようになった…という具合です。
こんな会話を思い出したのは、埼玉県越谷市の広報紙『広報こしがや 季刊版 秋号(令和元年9月)』の特集「子どもたちの笑顔があふれる居場所づくり」という記事を目にしたからです。放課後を1人で過ごす子どもたちなどのために、「プレーパーク」や「放課後子ども教室」、「こども食堂」などが越谷市内にはあるということ、そして、そうした子どもの居場所づくりに取り組む団体が紹介されていました。
時代を経て、空き地は「プレーパーク」に、家の代わりに「こども食堂」、そして宿題やスポーツ・文化活動ができる「放課後子ども教室」にと、その姿を変えてきたようです。個人での子育てから、地域での子育てへと変わりつつあるということかもしれません。
一方で、こうした活動は子どもたちに多くの費用を負担してもらうことができないため、経済的にも人材的にも厳しいものがあります。「放課後子ども教室」は卒業生がボランティアとして関わったり、「こども食堂」は市が食品ロス削減の一環として家庭で余っている食品を持ち寄るリサイクルプラザや、農家の皆さんが野菜を持ち寄るグリーン・マルシェなどを活用したり工夫されているようです。地域のいろいろな方の力があってこその“子どもたちの居場所”というわけです。
件の会話では、私たちは年代ごとに子ども時代の居場所こそ違いましたが、それぞれよい思い出となっていました。さて、今の子ども達は、大人になったとき、どのような居場所を懐かしく思い出すのでしょう。地域で育てられた分、故郷への思いは、強いかもしれません。