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特集 渋沢栄一翁 新1万円札に

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埼玉県深谷市

4月9日、財務省は深谷市出身の渋沢栄一を新1万円札の肖像にすると発表しました。栄一は『日本資本主義の父』と称された実業家としての顔だけでなく、社会福祉事業や国際親善にも尽力しました。

◆渋沢栄一の生涯
渋沢栄一は、天保(てんぽう)11年(1840年)、現在の深谷市血洗島の農家に生まれました。
24歳のころ、徳川幕藩体制に疑問を抱き、『高崎城乗っ取り』を計画するなど、尊王攘夷(そんのうじょうい)運動に加わりましたが、その後、一橋家(ひとつばしけ)および幕府に仕え、慶応3年(1867年)、第15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の名代徳川昭武(あきたけ)に随行して渡欧。約1年余滞在する中で、ヨーロッパの進んだ思想・文化・社会などを目の当たりにし、大きな影響を受けました。
明治元年11月(1868年)に帰国した後、大隈重信の説得により明治新政府の大蔵省に仕え、財政の整備に当たりましたが、大久保利通(おおくぼとしみち)らと財政運営で意見が合わず明治6年(1873年)に辞職。その後は実業界で活躍しました。
幼い頃から学んだ『論語』の精神を重んじ『道徳経済合一説』を唱え、各種産業の育成と多くの近代企業の確立に努め、第一国立銀行をはじめ創立に関わった企業は500以上を数えます。
また、身寄りのない子供や老人を養う『養育院』を設立するなど、600を超える社会福祉事業に関わりました。そして、昭和6年(1931年)に91歳で亡くなるまで、国際親善にも貢献しました。
このように、実業家としてだけでなく、社会福祉や国際親善など幅広い活動が評価されて、今回の新1万円札の肖像に採用されたのではないでしょうか。
新1万円札は2024年の上期に発行される予定です。

・表紙のもとになった写真
渋沢史料館に収蔵されている写真。表紙はこの写真をもとに市内在住の渋沢敦雄氏が油絵で描いたものです。

◆市内の渋沢栄一ゆかりの施設
市では、渋沢栄一ゆかりの施設が多数存在する地区を『論語の里』エリアとして整備してきました。
皆さんもぜひ、一度足を運び栄一の偉大な功績と栄一を育んだ空気に触れてみませんか?

○誠之堂(せいしどう)
大正5年に栄一の喜寿を祝い、第一銀行の当時の行員が出資して建てられました。栄一は、第一銀行の初代頭取を務めていました。
平成11年に東京都世田谷区から深谷市に移築され、平成15年に国の重要文化財に指定されました。

○旧煉瓦(れんが)製造施設
栄一は明治20年に日本煉瓦製造会社の工場を地元深谷市につくります。
この工場でつくられたレンガは東京駅や日本銀行、誠之堂などさまざまな建築物に使われました。
現在、窯は保存修理工事中で、見学の再開は令和5年頃の予定です。

○旧渋沢邸『中の家(なかんち)』
旧渋沢邸『中の家』は、渋沢栄一生誕地に、栄一の妹夫婦によって明治28年に建てられました。
屋根に天窓があり、当時の典型的な養蚕農家の形を残しています。栄一が、多忙な中で帰郷した際に立ち寄り、寝泊まりをした家です。

○渋沢栄一記念館
栄一に関連する資料が展示されている資料室には栄一が実際に身に着けて舞ったと伝えられる獅子舞の獅子頭や、青淵由来之跡(せいえんゆらいのあと)の碑の拓本(たくほん)などさまざまな資料を展示中です。栄一が83歳の時に講演した肉声も聞くことができます。

◆渋沢栄一関連施設案内図
『論語の里』エリアには、上に紹介した施設以外にも、栄一の論語の師でもある尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)の生家など大小さまざまな史跡があります。エリアを少し離れますが、上で紹介した日本煉瓦製造(株)旧煉瓦製造施設『ホフマン輪窯6号窯』など、他にも栄一が関わった施設が残されています。

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