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平成27 年度江南市横田教育文化事業弁論大会~私の「将来の夢」を語る~ 入賞者決まる

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愛知県江南市

市では、教育文化の振興を図るため、名誉市民で文化勲章を受賞された、故横田喜三郎氏の意向に基づき、この事業を実施しています。
今年も中学生、高校生の向学心の高揚と豊かな人格形成を図ることを目的に「将来の夢」と題して作文を募集したところ、中学生の部に1315点、高校生の部に878点の作品が寄せられました。その中で、第一次審査で選考された優秀作文により、平成27年10月31日(土)市民文化会館小ホールで発表形式の弁論大会を行いました。
どの生徒の発表も現実を直視した上で、自分の将来の夢に想いをはせ、「夢」への実現のため具体的な目標の設定と決意にあふれた、会場の一人ひとりの心に響く、力強い発表でした。
論旨、論調・態度について審査がされ、次の皆さんが入賞作品として選ばれました。
ここに、その審査結果と各部の最優秀作品を紹介します。(敬称略)

中学生の部
最優秀賞…入江真央(西部中)
優秀賞…杉山静花(西部中)、荒木香鈴(宮田中)、後藤志保(北部中)
優良賞…渡辺悠人(北部中)、山本竜也(布袋中)、塩崎ひかる(滝中)、伊藤はるな(宮田中)、菊入有紗(古知野中)、山田麻緒(滝中)、鈴木愛梨(布袋中)、髙田慎也(古知野中)
高校生の部
最優秀賞…中島寿美子(滝高)
優秀賞…加藤いほり(滝高)、中田碧(江南高)
優良賞…加藤レジナルド(尾北高)、宗香織(江南高)、デグスマンナミエ(古知野高)、山口花歩(古知野高)、平山夏音(尾北高)
問合せ 教育課(内線394)

「治癒できる人」入江真央さん(西部中)
「将来の夢」の始まりは人それぞれだ。幼い頃に大好きだった人みたいに自分もなりたい、たまたまテレビで見た職業に興味を抱いた、スポーツが大好きだった……。私の夢の始まりは、「白衣へのあこがれ」だったように思う。背筋をのばし、凛としていて、それでいて優しさと思いやりの溢れる「薬剤師」。
幼い頃の私は、よく病院へ行っていた。第一子であるため「お母さん一年生」である母も子育てに必死で、病気に関してはことさら過敏になっていたそうです。発熱、咳、湿疹。子どもに病気はつきもの。その度に、緊張の面持ちで病院へ行く。優しい看護師さんに案内され、お医者さんの前の丸いすに座わる。母が症状を説明し、診察、そしてお医者さんから病名が告げられる。その間、母の表情が緩むことはない。幼い私にも緊張が伝わっていた。『お大事にしてください。』『ありがとうございました。』というやり取りの後診察室を出る。そこでようやく少し母がホッとした表情を見せる。処方せんを手に薬局へ。ガラス張りの部屋にはたくさんの棚があり、白衣をまとった人たちが無言でその棚を開けたり閉めたりし、小さな機械音だけが響いている。その秘密の部屋から両手でトレーを持ち、凛と白衣が現れる。「入江真央さん」。呼ばれた母と私はカウンターへ向かう。薬の効能・副作用・諸注意を聞く。そしてたわいもない会話へと続く。実はこの一見たわいもないと思われる会話こそが一番大事なことであるということに私は気づいた。二年生の秋のことです―。
二年生の職場体験学習、私は調剤薬局で体験させていただくことになった。幼い頃から抱いていた「白衣へのあこがれ」から漠然ではあるが「薬剤師」になりたいと思っていた。薬局は、薬剤師、医療事務の方などの連携で成り立っており、凛と張り詰めた空間は身の引き締まるものでした。しかし、患者さんに対する時の穏やかな表情、思いやりある話し方、気配り、そして時にただうなづいて話に耳を傾ける姿勢。「お大事にして下さい。」「ありがとう。」どの患者さんも安心した表情で帰られました。
後日、たまたま母がその薬局に、私の薬を受け取りに行った時のことです。帰宅した母が私に言いました。「すばらしい所で職場体験させていただいたね。見習って生かしていきなさいね。」と。母から処方せんを受け取った事務の方が奥にいらっしゃった薬剤師の方にお声をかけられ、みなさんで母に、「先日は、真央さんにお世話になりました。」と頭を下げて下さったということでした。お世話になったのは、もちろん私です。大勢いる職場体験学生の一人ではなく、唯一無二の存在とし覚えて下さっていたことにも感動しました。そこには「心」があります。
私は、「治癒」という言葉について考えた。「治癒」とは、体に負った傷、病気が完全に治ることであると辞書には記されている。しかし私は、この言葉には、心のケアも含まれていると思う。むしろ心のケアこそが重要であるのではないだろうか。治し、癒す。「病は気から」という言葉がある。まさにその通りである。人間の心の奥深さだと思う。そして、心を通わすことが今、国際社会において大きな役割を担う。
八月、私はミクロネシア連邦への中学生海外派遣に参加させていただいた。事前学習を進めていくうちに、現地の医療問題を知った。現地での、学校訪問やホストファミリーの方との交流は、私を一回り成長させてくれた。相手の心に寄り添い、真心で接することの大切さを実感した。そしていつか「薬剤師」になり、「治癒」させていただきたいと思った。
私が生きてきた十五年間に無駄なことは一つもない。さまざまな経験、体験は私の財産であり、これからの私に必要不可欠である。グローバルな視点で物事を考え、努力を負しまず、夢に向かって歩みを進めていきたい。人を「治癒」できる人間になりたい。

「世界で叶える夢」中島寿美子さん(滝高)
ここで働くんだ。ニューヨークの国連本部を訪れた時、私は直感でこう思いました。中学1年の夏休み、家族旅行でニューヨークへ行った時のことです。小学生の頃から世界に漠然と興味を持ち、思いを馳せていましたが、自分の言葉で夢をあらわすことはできませんでした。けれども、この瞬間、私がやりたいことはこれなんだ、と、今まで味わったことのない感覚に見舞われたのを、今でも鮮明に覚えています。それから、国連のこと、国際協力のこと、国際問題のことを中心に、積極的に多くを学びました。そして、世界の現状をこの目で見てみたいという思いから、カンボジアの孤児院を訪れたり、フィリピンのスモーキーマウンテンを訪れたりしました。また、日本でできることはないかと考え、学生団体で国際ボランティアも行いました。
自分の夢に向かって勉強していく中で、教育開発の分野に関わりたいと強く思うようになりました。具体的に、途上国で教育の普及をし、貧困の負の連鎖を断ち切りたいと考えています。教育は、人の運命を変えることができる。教育は、夢の選択肢を広げることができる。教育を受けることで、自分の未来を自分自身で切り開いていくことができる。私はそう信じています。
私がこう思い始めたのは、フィリピンのある少女との出会いがきっかけでした。将来の夢は、学校の先生、と教えてくれた彼女。彼女はスモーキーマウンテンに形成されたスラムに住んでいました。ゴミを拾って売ることで得た、数十円で日々を暮らしていました。生きるのに精一杯な環境の中で、夢を持ってキラキラと輝いていた彼女。しかし、現実は厳しいものでした。スラムで生まれた子どもたちは、きちんとした教育を受けることができず、大半が、一生スラムで暮らすことになるそうです。自分の夢を持ち、その夢に向かって頑張る権利が、誰にでも与えられているものではないのだと、その時感じました。生まれた場所に左右されず、誰もが自分の夢に向かって精一杯努力できるような世界にしたい。これが私の志です。
私はこの夢を叶えるために、ニューヨークの大学に進学することを決めました。その理由は、2つあります。1つ目は、将来、国際問題を世界各国の人々と解決していく中で、一つの考え方に縛られるのではなく、色々な考え方に出会っていることはとても大切なことだと考えたからです。ニューヨークには、世界中から価値観も考え方も違う留学生が集まってきます。多種多様な留学生達と勉強をし、日々を過ごしていく中で、自分の価値観とは異なる様々な価値観に触れられると考えました。2つ目は、ニューヨークには多くの国際機関の本部があり、インターンシップをするチャンスがあふれているからです。インターンシップをすることで、多くの現場経験が積めます。実践力が求められる国際公務員には、必要不可欠な経験です。
中学一年生から持ち続けた夢。今までの努力、そしてこれからの努力が私を夢に近づけてくれることを期待しています。自分の生まれた場所によって制限されることなく、自由に夢を持ち、その夢に向かって精一杯努力できる未来のために、まずは世界中の子ども達が教育を受けられるようにしていきたいです。どうしたら、すべての子どもたちが教育を受けられるのか。難しい問題ですが、これから一生懸命学び、自分なりに考えていきたいと思います。世界を少しでも変えていけるような人になるために、世界の舞台で努力していきます。

特別発表
昨年度に引き続き、平成27年度においても、福島県相馬市の中学生3人を招待し、同年代の声を聴きました。その3作品を紹介します。

「僕らがつくるふるさと」阿久津太一さん(相馬市立玉野中3年)
僕が通う玉野中学校は、昔、県大会優勝を成し遂げたこともある卓球の強豪校でした。しかし、今では全校生徒はたったの9名。相双地区優勝でさえ遠ざかっています。「もう一度花を咲かせたい」、その一心で、練習に励み、今年の中体連地区予選で、僕はついに、個人戦優勝を果たしたのです。
優勝はもちろんですが、それまでの過程で、地域の方々とのつながりを感じられたことが本当にうれしかったです。例えば、僕たちの活躍を耳にした地域の方が学校を訪ねてきてくれたことがありました。「少ない人数でも、頑張っている中学生を見ると、私達も元気になる」と温かい言葉をかけていただき、もっと頑張ろうと思うことができました。また、玉野中OBの長澤真二さんは、仕事の合間を縫って、僕たちを指導してくださいました。玉野中卓球部の栄光時代を知る長澤さんからすれば、最近の実績は物足りないものだったと思います。それでも、長澤さんは「太一が県大会で勝ったら、たとえ一勝でもうれしいよ」と言ってくださいました。県大会まで残り一週間、支えてくださる方々に感謝の気持ちをもって、練習に励んでいきたいです。
こうして、地域の方と関わる中で、改めて「いつまでも元気な玉野であってほしい」と思うようになりました。しかし、地区の人口は減る一方です。20年前、約640人だった人口は、現在約430人。年に10人の割合で減り続けています。僕は、このままでは、地域の結び付きが弱まってしまうのではないか、と心配しています。今までは、夏祭りや新年の餅つき会、カラオケ大会など、みんなが楽しめる場を地域全体で協力し、創り上げてきました。また、小中学校の文化祭や運動会には、地域の会社や地区の人々が参加して、一緒に盛り上げてくれます。しかし、このまま子供の数が減り続け、学校がなくなってしまったら、少子高齢化がさらに進んだら、地域の交流の場は、いつかなくなってしまうでしょう。
僕自身、中学校の先生になるという夢を叶えるため、いずれは玉野から離れることになります。進学や就職で、地元から出て行くのは仕方のないことかもしれません。しかし、どこで生活しようと、ふるさとのためにできることはあります。去年の夏祭り、卒業生が玉野に帰ってきて、元気な姿を見せてくれました。たくさんの人が集まり、久しぶりににぎやかな時間を過ごせて、本当に楽しかったです。僕も先輩方のように、祭りの日には必ず帰ってきて、地域を活気づけたいです。
僕は、いつか教師になって、相馬地区に戻ってくるつもりです。そして、玉野中で働くことができたら、最高です。そのときは、子供達と地域のおじいちゃん、おばあちゃんが交流できるような機会をつくりたいです。現在も学校の行事に地域の方が参加していますが、生徒が活動する姿を見てもらうことがほとんどです。そこで、僕は考えました。運動会では、地区の皆さんが子供達と一緒に出場できる種目を増やし、小中合同で行っていたかしわ祭では民謡や踊りなど、地域の方々が発表する機会をつくるのです。そうすれば、もし子供の数が少なくなってしまっても、地域行事として、それらの機会はずっと続いていくのではないでしょうか。教師として、玉野地区の一員として、学校だけでなく、地区全体に笑顔があふれるよう、サポートしていきたいです。
玉野中の校歌にこんな歌詞があります。「ああ我ら誇りと意気に新しい文化ひらかん」。玉野で育った誇りと、僕らがこれからの玉野を担っていくんだという意気をもち、新しい玉野を創っていく、という思いが込められています。伝統を受け継ぐだけでなく、これからのふるさとに何が必要なのかを考え、実行していくことが大切なのです。もちろん、相馬も、福島も、僕のふるさとです。今の自分を育ててくれたふるさとを、今度は僕が守り、育てていきたいと思います。

「今を生きること」清信太希(相馬市立中村第一中3年)
みなさんは生きていることに感謝していますか。僕は以前まで、生きていくことのすばらしさを意識することはありませんでした。しかし、そんな僕を大きく変える出来事がありました。
今年の四月、大好きだった祖母が亡くなりました。震災以後はなかなか会うことができず、会えた時はいつも、「孫の将来を見届けたい」そう言っていました。僕もその言葉に励まされ、一生懸命勉強や部活に励んでいました。今までお世話になった分、今度は僕が支えてあげたいという一心で頑張る毎日でした。そんな矢先に、突然、祖母が亡くなったということを知らされました。驚き、悲しみ、後悔……。いろいろな気持ちが込み上げてきました。忙しいことを理由に、祖母に寂しい思いをさせてしまった自分を責めてしまうこともありました。「もっと何かしてあげればよかった」「もっと話しておけばよかった」いつの間にか、そんなことばかりを考えるようになって
いました。しかし、それと同時に、自分がこれまで祖母やまわりの人にどれだけ支えられてきたかがわかりました。そして今自分がこうして生きていられることのありがたさやすばらしさを実感しました。
去年、僕は職場体験で相馬中央病院に行きました。そこには、食べる、お風呂に入る、歯みがきをするといった日常的なことでさえ困難な高齢者の方がたくさんいました。当たり前のことが当たり前にできない。そんな患者さんのことを思うと、自分が今どれだけ幸せなのかということが痛いほどわかりました。しかし、大変なのは患者さんだけではなく、支えている看護師さんも同じです。一日中患者さんのために働き続ける。それは、簡単なことではありません。「患者さんのおかげで今の自分がある。」看護師さんが言ったあの一言は、今でも強く胸に残っています。「自分は一人で生きているのではない」そう思っているからこそ、どんな困難にも負けずに頑張れるのだと僕は考えます。
今、世界ではたくさんの人が生まれ、亡くなっています。こうしている間にも、生と死は繰り返されているのです。日本でも、毎日のように誰かが事件や事故にあって亡くなっています。中には、人生に絶望し、自ら命を絶ってしまう人もいます。
では、僕たちはこれからどのように生きていくべきなのでしょうか。僕はまだ中学生で経験も少なく、この先困難にぶつかったり、過ちをおかしてしまうこともあるはずです。しかし、一つだけ言える事があります。それは、僕たちは「生かされているのだ」ということです。僕たちは普段、何気なく生活を送っていますが、それが可能なのは一生懸命働いている家族のおかげなのです。もちろん、家族だけでなく、学校の先生や地域の方々の支えがあってこその「今」なのです。どんなときでも忘れてはいけないのは支えてくれる人や生きていることに対する感謝の気持ちなのです。
僕は今、こんなにも楽しい生活ができていることに感謝の気持ちでいっぱいです。しかし、それをただ持っているだけで良いのでしょうか。いいえ、ちがいます。感謝の気持ちは行動に表すことで初めて支えてくれる人への報いになるのです。みなさんは「報恩謝徳」という言葉を知っているでしょうか。恩に感謝し報いることを意味します。僕たちは、自分が受けた恩に対してできる限りのことをしていかなければいけません。そうすればきっと、自分のやるべきことややりたいことは見えてくるはずです。
「医師になりたい」これは僕の将来の夢、そして大好きな祖母の願いです。これが、僕にとってのやるべきことであり、やりたいことです。夢に向かって努力することで、支えてくれるすべての人へ感謝の気持ちを表したいのです。それこそが、「今を生きる」ことだから―。

「福祉の道へ」草野海成さん(相馬市立向陽中3年)
『もう一度、じいちゃんとパークゴルフがしたい……。』これが、今、現在の僕の素朴な願いです。
僕は、つい半年くらい前まで、休日といえば、祖父母とパークゴルフをして楽しんで過ごしていました。中学生になっても祖父母と遊んでいるなんて、もしかしたら、幼いと思われるかもしれません。
もちろん、友だちとゲーム、または、一人でゲームを楽しむこともあります。しかし、僕にとって、祖父母とパークゴルフをする時間は、何とも言えない幸せな楽しい時間でした。
ところが、今は、その楽しい時間がずっとお預けの状態となっています。というのも、祖父が、大病を患い、入院してしまったからです。今のところ、退院のめどは全くたっていません。正直、とても不安です。
そして、この祖父の入院を機に、僕は、これまでの生活がとても貴重だったことに気づくことができました。祖父の存在の大きさに気づくことができたのです。
祖父が身近にいなくなってから、今さらながら、祖父のありがたみに気づくことができました。それは、祖父は、普段、口数が少ないので、一緒にいる時は、気
づくことができなかったのです。祖父は、正に『昭和』の男。黙って動くタイプでした。家族のため、僕たち孫のために、さりげなく陰ながら尽くしていてくれていました。さらに、入院中でありながら、入院前に残っていた書類まとめていることも祖母から聞きました。この責任感あふれる祖父の姿を僕は誇りに思います。
さて、この祖父の血を受け継いでいると思われる母は、福祉関係の仕事をしています。そして、いつの頃からか、僕も福祉関係の仕事に就きたいと考えるようになっていました。ですから、昨年の職場体験でも僕は迷わず、福祉の職場を選びました。そして、実際に職場体験を通して、やはり、福祉関係の仕事に就こうと心に決めました。
そこで、そのことをすぐに母に話しました。すると、意外にも母から反対を受けたのです。僕は、てっきり、自分と同じ道を歩もうとしている僕を母が応援してくれるものとばかり思っていました。ですから、驚き、がっかりしました。しかし、そこには、仕事に向き合う母の真剣な思いがありました。それは、『福祉』の仕事と言えば、一見、聞こえはいいが、現場は想像以上に厳しいものなのだということでした。職場体験での二日間では見えないものがある、と言われました。
『少子高齢化』・『超高齢化社会』で、福祉の仕事、特に介護の人手は足りなくなってきているそうです。それなのに?いや、それだから?福祉関係の仕事場の労働条件が悪い、厳しいということでした。どの職業も同じでしょうが、仕事を簡単なものととらえないようにと言われました。
おそらく、今のままでは、僕たちのために尽くしてくれた祖父母世代のお世話をする人が足りなくなるのは目に見えています。だからこそ、僕は、あえて、福祉の道に進みたいと思います。厳しいから避けていたのでは、いけないと思います。
今すぐに、僕が直接、祖父のためにできることは少ないと思います。その分、何年か後から、僕は、福祉関係の仕事で恩返しができたらいいなと考えます。福祉の仕事に全うするだけでなく、労働条件が悪いのなら、それを改善するように働きかけてもいきたいと思います。思っているだけではダメです。具体的に何か行動を起こすことが必要だと思います。『福祉』とは、『幸福・しあわせ』という意味です。僕は、仕事場だけで使われている名前だけの『福祉』ではなく、家族でも仕事でも本当の意味での『福祉』を目指します。

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