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みなとまち新潟 歴史探訪(12)

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新潟県新潟市

■太平洋戦争と新潟港

昭和47年、新潟港で浚渫(しゅんせつ)船「海麟(かいりん)丸」が沈没し、乗組員2人が亡くなりました。これは、太平洋戦争中に投下された機雷による事故でした。戦争末期の昭和20年、新潟港を封鎖するため、アメリカ軍は機雷投下を始めました。港では機雷の事故が相次ぎ、7月には「鉄工丸」が機雷に触れて28人が亡くなりました。
8月10日、本市は艦載機による大規模な空襲を受けます。新潟港では「おけさ丸」や「宇品(うじな)丸」が攻撃され、この日は市で最大の被害となる47人が亡くなりました。翌日、本市に原子爆弾が投下されるおそれがあるとして市民の緊急疎開が命じられ、市街地は無人に近い状態で15日の敗戦を迎えました。
戦後も新潟港の機雷処理は続き、昭和27年に安全宣言が出されましたが、それから20年後に「海麟丸」の事故は起こりました。その後、修復された「海麟丸」は「白山丸」と改名され、平成14年ごろまで港の浚渫作業に従事しました。

問合せ:歴史文化課【電話】025-226-2584

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