文字サイズ
自治体の皆さまへ

《特集》慶長5年、那須の緊張(1)

4/54

栃木県大田原市

■はじめに
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦は、徳川家康(とくがわいえやす)にとって覇権確立への確かな契機となり、戦国乱世を終息させて太平の世を創出したという意義を有しており、まさに天下分け目の戦いでした。同合戦を同年9月15日の美濃国(みののくに)関ヶ原(岐阜県関ケ原町)での大合戦のみと捉えず、会津攻めからの一連の戦いと考えれば、那須衆(なすしゅう)(那須氏や同氏の目下の同盟者)も同合戦において一定の役割を果たしていたと言えます。以下、同合戦における那須衆の動向、那須の緊張について記します。

■1 豊臣政権・徳川氏と那須衆
文禄期(1592~1596)~慶長初期の頃、那須衆は、当主やその代理人を在京させて、豊臣(とよとみ)政権に出仕(しゅっし)させていました。また、彼らは、天正18年(1590)の小田原攻め以降は、同政権に従属しながら、関東入りした徳川家康の旗本にもなっていたようです。
豊臣秀吉(ひでよし)は、慶長3年(1598)8月に死去し、その後の主導権争いを制したのは、家康(豊臣政権の五大老(ごたいろう)の一人)でした。同年正月、秀吉によって転封(てんぽう)となり、若松城(福島県会津若松市)を居城としていた上杉景勝(うえすぎかげかつ)(120万石、五大老の一人)は、領内諸城の修築を進めるなど、軍事力強化に余念がなく、大坂にいた家康は、そうした情報を入手していました。家康に会津方面の情勢について報告した者の中には、伊王野(いおうの)城主伊王野資信(すけのぶ)(那須衆)も入っており、慶長5年5月3日、資信は、家康から伊王野方面の守備を命ぜられ、まもなく自らも出馬する旨を通知されています。
上杉景勝は徳川家康からの呼び出しに応じず、これは慶長5年6月の家康による会津攻め決定に直結するところとなります。
慶長5年正月時点で在京していた黒羽城主大関資増(おおぜきすけます)(那須衆)は、その後大坂入りして、他の那須衆(那須資景(すけかげ)・大田原晴清(おおたわらはるきよ)・福原資保(ふくわらすけやす)ら)と共に大坂城において徳川氏から上杉軍への防備態勢をとるべく帰国せよとの命令を受けました。

■2 会津攻めと小山評定(おやまひょうじょう)
慶長5年9月15日の関ヶ原合戦に至る軍事的展開は、同年6・7月の会津攻めから開始となります。会津攻めには、徳川譜代(ふだい)の武将の他、主に畿内(きない)近国から東海道筋に領地を持つ外様(とざま)の武将(豊臣系諸将)も従軍していました。家康は6月16日、総大将として全軍を率いて大坂城を発たち、景勝を討つべく会津に向けて進軍します。家康は7月2日江戸に入り、豊臣系諸将も江戸に集結。そして奥羽・北陸の大名にも会津攻めを指令した上で、家康ら本隊は宇都宮城を前線拠点として、白河口から進撃することを予定していました。
7月13日には、徳川譜代の榊原康政(さかきばらやすまさ)(上野国館林10万石)が徳川軍先鋒として出陣し、同15日大田原に着陣しており、ここで那須衆はいち早く彼らに属しています。7月22日には、宇都宮城に徳川秀忠(ひでただ)(家康三男)が着陣、同24日小山に家康が着陣となります。
大関資増・大田原晴清(大田原城主)・伊王野資信は7月22日、石橋(下野市)まで進んで秀忠に拝謁(はいえつ)し、那須資景(福原城主)・芦野政泰(あしのまさやす)(芦野城主)・福原資保(御古屋敷館主)は同日、白沢(宇都宮市)で秀忠に拝謁しました。さらに大関・大田原・伊王野諸氏は24日、小山に家康を訪ね拝謁しており、上杉軍に対する防備を改めて命令され、刀や金子(きんす)を与えられて、各自の城に帰ります(那須資景も、家康の許(もと)を訪れたようです)。
家康は、7月21日の江戸出発前後に上方(かみがた)での石田三成(いしだみつなり)らの決起情報を得ており、早くも会津攻めの中止と西上(せいじょう)、すなわち石田氏ら(西軍)との決戦の意志を固め、23日にはそうした態度を表明しながら、それらの方策について25日に小山で諸将と合意を形成した上で、最終的に決定しています。
会津方面に対する防備のため、徳川秀忠と結城秀康(ゆうきひでやす)(家康二男、下総国(しもうさのくに)結城10万千石)が宇都宮城本丸に配され、徳川諸将や下野諸大名・奥羽諸大名によって上杉軍を包囲し、その南下を阻止することが図られました。
浅野長政(あさのながまさ)(五奉行(ごぶぎょう)の一人)の子、浅野幸長(よしなが)は、徳川方による改めての会津攻めの可能性を示唆することで黒羽城の防備態勢を強化させようと意図し、大関資増宛ての7月29日付書状により、会津攻めが「御延引(ごえんいん)」(延期)になったと通知しています。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒104-0061 東京都中央区銀座3-4-1 大倉別館ビル5階

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU