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民俗だより 第六十号

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沖縄県中城村

中城の海人(うみんちゅ)ー海とともに生きる安里昌加(あさとしょうか)さんー

戦前、村内にもサバニ(註一)に乗って漁を行う海人(うみんちゅ)(漁師)がいました。海人は地形や魚介類の習性に合わせ、定置網を使ったり、素潜りをして漁をしていたようです。その、定置網を使う海人をアンブサー、素潜りの海人はシムワザ、またはハダカ潜りと呼んでいました。

今回は、南浜出身の海人、安里昌加(あさとしょうか)さんに焦点をあて、戦前の海人の暮らしについて紹介したいと思います。

1、南浜の海人ー安里昌加(あさとしょうか)さんー
南浜には五、六戸の家に海人がいたそうです。その中の一人である安里昌加さん(大正十三年生まれ)は、祖父の代から続く海人です。八歳から父と漁に出始め、十三歳には一人前の海人としてサバニを漕いで漁を行い、家の生活を支えるようになりました。それから、二〇一六年、九十二歳まで漁を行っていました。
日の昇らない時間に起床して海に向かい、まだ薄暗い中、サバニを漕いで定置網へと向かいました。昌加さんは、「幼い頃は一人でトイレに行けないほど怖がりだったが、漁に出ると思えば夜道を歩くのも怖くなかった」と言います。
複数の定置網にかかった魚介類を揚げ終えると、肩に担いで売りに行きました。そして、午後は野菜やサトウキビ栽培に精を出すといった半農半漁の生活を送っていました。十分な睡眠を取れないほど、多忙な日々であったそうです。

2、漁法
戦前、中城の海では、エーグヮー、グルクン、イラブチャー、ボラ、クブシミ、シルイチャ、タコなどが獲れました。当時は、高級魚のタマンも獲れたそうです。
昌加さんはイカ、タコを専門に、アンブシ(建干網(たてぼしあみ))という漁法で漁を行いました。アンブシとは、浅瀬に設置する定置網で、浜に向かって八の字状に網を設置し、潮の干満と魚の習性を利用して魚を獲る漁法です。昌加さんの漁場は現西原の南西石油工場から浜漁港までの範囲で、その一帯にアンブシを十カ所設置し、漁を行いました。
サバニは細長い棒で海底をついて押し出すように漕ぐため、昌加さんの手は、長年の海人生活を物語っているかのように、指は太くなり、親指も外側に曲がりました。

3、魚を売る
昌加さんの毎日の水揚げ量は十キロ~ニ十キロになり、漁を終えると水揚げした魚介類を肩に担ぎ、徒歩で一時間かけて与那原に売りに行きました。サバニを漕いで行くと時間がかかり、漕ぐのも大変なため、徒歩で通っていたそうです。昌加さんは与那原の諸見里さんという方とアチョードゥ(後払い契約)を交わし、水揚げした魚介類を全て売りました。「魚を売りに行くと、諸見里さんがご飯、みそ汁、豆腐を出してくれてね。毎回これが楽しみだったよ。」と懐かしげに語りました。

【脚注】註一沖縄の伝統的な舟で、木製の小型漁船。海上の移動や荷運びで使われた。

現在、『戦前の集落16 浜・北浜・南浜』発刊に向けて、聞き取り調査を進めております。戦前の浜・北浜・南浜の屋号や生活の様子など、お話できる方がいらっしゃいましたら、ぜひ、悉皆調査担当までご連絡下さい。お待ちしております。

中城村教育委員会生涯学習課 文化係
文化財悉皆調査担当
【電話】895-5700
伊良皆 愛莉

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