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旧八幡市制100周年トピックス

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福岡県北九州市

第3回・八幡区の記憶

昭和38年(1963年)2月10日、門司、小倉、若松、八幡、戸畑の五市合併により「北九州市」が発足しました。これらの規模の都市の対等合併は世界的にも例がなく、国連から調査団が訪れるほどの出来事でした。
そして、同年4月1日、北九州市の政令指定に伴う区制施行により人口35万人の「八幡区」が誕生しました。
発足当初は高度経済成長の真っ只中で、好景気に賑わう一方、「公害」が深刻化していたのです。繁栄の象徴だった「七色の煙」は、住民の健康や生活環境を脅かし、洞海湾は「死の海」と呼ばれるようになりました。市民運動が契機となり、産学官民が一体となって、公害対策への取り組みも始まりました。
昭和36年(1961年)の堺(大阪府)、昭和40年(1965年)の君津(千葉県)など新しい製鉄所の誕生に対して、「母なる製鉄所・八幡製鐵所」は長年育んできた技術や管理システム、そして多くの労働者を提供することとなります。転勤者の数は、約1万人を超えたと言われています。
昭和47年(1972年)、官営八幡製鐵所操業開始時から鉄を生み出し続けてきた東田第一高炉の火が落ち、1つの歴史が幕を閉じました。追い討ちをかけるように、昭和48年(1973年)「第1次石油危機(いわゆるオイルショック)」が発生すると、重工業都市・八幡は大きな影響を受けることとなりました。そして、「鉄冷え」といわれる不況が「鉄の街・八幡」に長く居座ることになるのです。

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