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薩摩藩英国留学生記念館「れいめいの風」

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鹿児島県いちき串木野市

■展示資料紹介vol.9「町田石谷君碑拓本」
東京・上野の東京国立博物館裏庭には初代館長の町田久成の功績を称えた大きな「町田石谷君碑」があります。これは外国事務掛時代の部下で後の外務卿、井上馨らの提案で碑文は重野安繹が作成し、建立されたものです。そこには町田の活躍と要職にあったにもかかわらず、辞して仏門に入った潔さが記されています。出世や名声を追わず孤独の中に古寺を守りながら没した町田の人生を今に伝えています。当館にはその拓本が展示されています。
町田久成は、1836年(天保9年)、現鹿児島市の町田屋敷で生まれ、通称を民部、雅号は石谷。15歳で江戸昌平黌に就学。薩英戦争では本陣警護隊長として参戦し、その後、大目付に就任。小松帯刀らと藩校・開成所を立ち上げると、1865年学頭として薩摩藩英国留学生を率いて渡英。1867年には薩摩藩が参加したパリ万博にも関与。帰国後は参与職外国事務掛を経て、大学(後の文部省)に勤務、博物局を設置し、現在の文化財関連法令である「古器旧物保存方」を提言し、博物館建設を建議。1872年湯島聖堂博覧会を開催します。これが日本初の博物館の扱いとなります。
1882年、3月に念願の東京国立博物館が完成すると初代館長に就任。しかし、わずか7か月で辞職すると、急速に仏教へ傾斜し滋賀県園城寺の桜井敬徳から戒を受け、塔頭・光浄院の住職に就任。1897年、療養先の東京上野明王院で死去。享年60歳、波乱に満ちた人生を閉じます。
町田久成が尽力した「日本初の博物館創設」から今年で150年。当館では、今年度の特別企画展として「町田久成展(仮称)」を令和5年1月末から開催予定です。ご期待のうえ、ぜひご来館ください。
記念館スタッフ 南川 浩幸

薩摩藩英国留学生記念館
【電話】35-1865

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