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福島区の魅力を知ろうvol.3

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大阪府大阪市福島区 クリエイティブ・コモンズ

この夏、関西将棋会館へ行ってみませんか
JR環状線福島駅から北へ約100mの場所にある日本将棋連盟関西本部の活動拠点であり、将棋界の西の聖地「関西将棋会館」。福島の地に昭和56年(1981年)7月に完成してから41年。この地で数々の名勝負、伝説が生まれ、将棋教室や将棋道場からは多くの棋士が誕生した「関西将棋会館」ですが、老朽化のため、令和5(2023)年度をめどに、高槻市に新会館を建設・移転することが決まりました。今回はそんな関西将棋会館を訪問させていただきました。通常では入ることのできない対局室なども含めて、ご紹介します。

1階 売店・レストランなど
駒の形の玄関が迎えます。売店には、盤駒はもちろん、棋士直筆の扇子など、他では手に入らない貴重なオリジナルグッズがいっぱい!藤井聡太竜王(王位・叡王・王将・棋聖)のグッズに並び、昨年、関西将棋会館40周年を記念して作成された、福島区「フッピィ」と日本将棋連盟「shoちゃん」のコラボボールペンも販売されています。

2階 道場・教室
ビギナーから上級者まで、将棋好きが集う将棋道場、プロ棋士による将棋教室。未来の棋士たちが大勢集まり、日々棋力を磨いています。

4階 対局室(水無瀬の間・錦旗の間)
関西将棋会館の建設委員長として尽力、その後当時のタイトル5つ全ての永世称号を得た、伝説の棋士・大山康晴十五世名人の肖像画や写真が見守ります。

5階 対局室
プロ棋士による熱戦が繰り広げられる、まさに聖地! 江戸時代、将軍の御前で対局が行われていたことから、江戸城本丸の御黒書院を模してつくられています。

最も格式高い「御上段(おんじょうだん)の間」。床の間の掛け軸は、木村義雄十四世名人・大山康晴十五世名人・中原誠十六世名人・谷川浩司十七世名人揮毫(きごう)のもの。

関西将棋会館の歴史
大正13年、関東の棋士で「東京将棋連盟」結成後、関西の棋士も合流し昭和2年「日本将棋連盟」を創設。「大阪支部」を木見金治郎八段(大阪支部長)宅に設けました。劇や映画、演歌で有名な「王将」の阪田三吉も合流し、昭和16年には「関西本部」となりました。戦中戦後、事務所は北区、住吉区、阿倍野区の民家や棋士宅を転々としたのち、福島区に念願の「関西将棋会館」を昭和56年7月に竣工しました。棋界初の「将棋博物館」を設けるなど、世界に誇る「将棋」の文化を発信、発展させてきました(将棋博物館は平成18年閉館)。
関西本部の所属棋士は藤井聡太竜王(王位・叡王・王将・棋聖)、谷川浩司十七世名人や久保利明九段、豊島将之九段など50人強で日本将棋連盟全体の約3割を占めます。

公益社団法人日本将棋連盟専務理事
脇謙二 九段にお話を伺いました
関西将棋会館が完成した時、私は21歳でした。会館の建設にあたっては、大山先生が筆頭になり時間を惜しんで資金集めに尽力されていました。我々若手棋士もあちこちの企業等へ寄付のお願いに奔走したものです。
それまでも集まって将棋ができる場所はありましたが、びっくりするような素晴らしい会館ができ、ここが僕たちの城(!)になるのかと誇らしい思いだったのを思い出します。
将棋は、私たちの子どもの頃はとても身近でポピュラーな遊びでしたが、今はそうもいかないですよね。でも、初心者から上級者まで将棋が指せる2階の道場には、土日の子ども将棋スクールにたくさんの子どもたちが来てくれています。今は100人ほどに人数制限していますが、コロナ前は200人もの来場がありました。プロ棋士による指導もしています。最近は藤井竜王人気もありまた増えてきていますね。豊島九段や菅井八段、先日藤井叡王に挑戦した出口六段も小さい頃から見ていました。皆、ここで練習し、あのように立派な棋士に成長していきました。
関西将棋会館は老朽化による不具合があちこちに出てきたところ、高槻市からお声がけがあり、日本将棋連盟100周年の節目に移転することが決定しました。
私は関西将棋会館とともに棋士人生を歩んできたので、将棋会館が福島からなくなってしまうのは本当に寂しいです。
しかし、拠点が高槻に行くだけで、大規模なイベントは大阪市内で実施されますし、市内の将棋道場は会館以外にもあり、今後も大阪市内で将棋に触れる機会はたくさんあります。
これから3年ぶりの大会も多く開催されます。これからも将棋を愛する人がますます増えていくように願っています。

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