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わがまち再発見 対馬歴史人物伝~郷土をつくった人々~二十五之巻

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長崎県対馬市

■近世宗氏の安定の礎を築いた
宗晴康(はるやす)(1475年‐1563年)

宗晴康は、文明7(1475)年に、宗氏の分家である豊崎郡主・宗盛俊(もりとし)の次男として誕生しました。兄が郡主家を相続したため、出家して建総院宗俊(けんそういんそうしゅん)と号し、諸国を遍歴しました。ところが、大永6(1526)年、当時の豊崎郡主であった甥の盛賢(もりたか)(のちの将盛(まさもり))が、14代当主として宗氏本宗家の家督を相続したため、郡政の停滞を招いてしまいます。そのため、晴康は、豊崎郡に文書(もんじょ)を発給するなど郡主としての活動を行うようになりました。
天文8(1539)年に、将盛が家臣たちの謀反によって追放されるという事件が起きました。この事件後、晴康は宗氏本宗家の15代当主となります。この時晴康は65歳。かなり老齢でしたが、家臣に推されて家督を相続しました。
天文15(1546)年、本宗家以外の宗姓の使用を制限、それまで宗姓を称してきた人々には別の姓を名乗らせ、宗氏本宗家との差別化を図ります。これによって宗氏一門の権力闘争と家臣団の分裂に終止符が打たれ、本宗家の支配は強固なものになります。
晴康は、永禄6(1563)年に89歳で亡くなりました。上対馬町西泊の西福寺には、宗晴康のものと伝わる宝篋印塔があります。※豊崎郡は、現在の上対馬町の一部

次回は、イノシシ被害から民を救った「陶山訥庵(すやまとつあん)」を紹介します。

問合せ:文化財課
【電話】0920-54-2341

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