- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県三春町
- 広報紙名 : 広報みはる 令和8年2月号

明治11年に「府県会規則」が施行されると、各地で府会・県会が開かれるようになりました。しかし、明治2年に開拓使が置かれた北海道は、この「府県会規則」から除外されます。明治19年になって北海道庁が設置されますが、道議会が開かれることはありませんでした。北海道でも議会を開くべき、と考える人々は、明治24年から東京へ請願に出ました。この時、北海道の代表に付き添ったのは、三春出身の自由民権運動家・岡野知荘でした。岡野は、加波山事件で北海道の空知集治監に収監された、河野広躰らを追って北海道へ渡り、現在の小樽市内の埋め立て事業に従事しつつ、彼らへの差し入れなどに奔走しました。その間に道議会開設の手伝いをすることになったようです。明治34年になって、ようやく北海道会法が公布され、道議会が開かれるようになります。
一方、明治30年代にかけて、河野広中に替わって福島県議会で活躍していたのは、中妻村選出の県議会議員・大和田広治でした。大和田広治は斎藤村に結成された不羈(ふき)社の中心的な役割を果たし、河野広中を支持して活動していました。大和田は、地租(土地に対する税)の増額に賛成する山田知事と対立し、不信任案を突きつけます。山田知事も一歩も退かず、県会を解散して応戦、解散後の選挙で再び選出された大和田は、再度山田知事に対して不信任案を提出します。山田知事は群馬県に転出してしまい、この争いは決着を見ないままとなります。
立場も活動も異なる二人ですが、彼らの活躍から、この頃は各県や市町村等の合併も落ち着き始めた一方、地方議会のありかたをめぐり、大きく揺れ動いた時代であったと思われるのです。
