◆三里村(大安町)
明治22年に高柳、平塚と石榑下が合併して三里村が誕生しました。この地域は、「3つの村」が合併してできたので三里村と名づけられました。村役場は了園寺の南側に設置されていました。
三里村には、「楮(こうぞ)」「尼ヶ谷(あまがたに)」という古墳群跡があり、古くから人々が住んでいました。江戸時代後期は石榑下は桑名藩、高柳と平塚は忍藩(おしはん)(現在の埼玉県)に属していて、忍藩の藩札は郷土資料館に保存されています。
高柳の由来は、宗泉寺の境内に大きな柳の木が植えられていたからと伝えられています。この寺は、奈良時代に建てられ、その昔は30名も修行僧がいた大寺でした。現在は、自治会で管理されています。
平塚には「楮」という地名があり、紙の原料となる楮を栽培して伊勢神宮に納めていました。
石榑下には「山神橋(やまかんばし)」があります。この場所には当時、山の神がまつられていたと伝えられています。
執筆:ふるさといなべ市の語り部の会
問合せ:ふるさといなべ市の語り部の会 伊藤忠
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