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9月1日は「防災の日」 49災から50年 ~改めて防災を考える~(1)

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毎年9月1日は「防災の日」です。台風や地震、津波などの災害に対して一人ひとりが認識を深め、これに対処する心構えを準備するための日です。関東大震災(大正12年9月1日)や伊勢湾台風(昭和34年9月26日)などがきっかけとなり制定されました。

昭和49年7月24日~25日に亀山市を襲った集中豪雨による災害(通称「49災」)から今年で50年が経ちました。この集中豪雨では、19時間で約3カ月分の雨(連続降雨量381mm、時間最大雨量101mm)が降り、野登地区、川崎地区、井田川地区などで河川の決壊氾濫が発生し、家屋の浸水や半壊、道路の寸断や断水などの大きな被害を受け、自衛隊による救助活動が行われました。

今回、当時を経験された、若林一宏さん(両尾町原尾)、笠井博さん(辺法寺町)、水野成樹さん(両尾町平尾)にお話を伺うことができました。この機会に過去の災害の歴史を知り、災害から自分の命を自分で守るためにできることを改めて考えてみましょう。

◆当時の状況について
若林さん:
当時のことは今でも鮮明に覚えている。それまでの人生で経験したことのないような激しい雨がずっと降り続いていた。向こう側が全く見えず、とても恐ろしかった。25日の朝方には安楽川が氾濫。上流から木や土砂などいろんなものが流れてきて、橋が崩壊していった。あっという間の出来事だった。

笠井さん:
川が氾濫した後は、一気に床上1m以上まで水が家の中に入ってきた。床は水浸しになり、家具などの一部は流されてしまった。家族は家の2階に避難し、水が引くのを待った。外にいたらあっという間に流されていたと思う。川が氾濫したのは早朝で、少しでも時間がずれていたら通学や出勤時間などと重なり、さらに大きな被害が出ていたと思う。人的被害がなく、みんな無事で本当によかった。

水野さん:
当時は避難所や避難情報など、大きな災害が起きたときの対策をあまり認識していなかった。自治会から応援要請があり出動したが、野登小学校の体育館も床上浸水していて、避難所にすることはできなかった。出動時に通った道路も数時間後には崩れ、濁流で軽トラックが流されないようにロープでつないだ。橋が崩壊したあとは孤立してしまいどこにも行けず、学校の運動場で自衛隊から飲料水が支給された。

◆49災を経験して
若林さん:
野登地区まちづくり協議会の集会室に当時の被災写真を貼って、この地域は過去に集中豪雨による大きな被害を受けたということを今でも忘れないようにしている。経験していない人にも当時の様子を伝え、今後の防災に対する意識を持ってもらいたい。

水野さん:
毎年1回は地域で防災研修会や防災訓練を行っている。風水害や地震が起きた場合の危険箇所のチェックや防災ハザードマップの確認などを行い、いざというときに慌てることのないよう、地域で共通の認識を持つように図っている。今後も継続してできる限りの対策を行っていきたい。

笠井さん:
49災を経験し、防災に対する意識が変わった。数年のうちに南海トラフ地震が起きると言われているので、非常用持ち出し袋のチェック、避難経路や避難場所の確認など、災害発生時に落ちついて適切に行動できるように危機感を持って、まずできることから始めていきたい。

本市では、現在、災害時における情報伝達の重層化を図るため、令和7年度末の完成を目指して、防災情報伝達システムの整備に取り組んでいます。想定を超える災害は、いつ起きてもおかしくありません。大規模な被害が発生する可能性を認識し、慌てず適切な行動ができるよう、一人ひとりが日ごろから災害に備えた対策を行うことが大切です。

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