戦国時代(15、16世紀)に最も活躍した忍者たち。どうして「伊賀・甲賀」に生まれたのでしょう。謎を解くカギは次の4つにあります。
◆その1「山地に囲まれた複雑な地形だった」
情報収集などに能力を発揮した忍者たち。この地域は山に囲まれ、人目に付きにくく、秘密を守りやすい地形であったため、忍びの術が発達しました。
◆その2「都に近かった」
当時政治・経済の中心であった京都に近く、大和街道・東海道が通り、軍事的にも重要な地域でした。
◆その3「自治的な組織がつくられていた」
忍者の実像は「伊賀衆」「甲賀衆」と呼ばれた地域の武士(地侍(じざむらい)や土豪(どごう))とされています。この地域は大きな力を持った有力大名が現れなかったので、支配されることなく自分たちで自治組織をつくり、互いに連携していました。
◆その4「通行についての権限を持っていた」
見晴らしのよい丘陵の先端や谷の入口には地侍や土豪が城を築き、自ら関所を設け、通行する人を監視することができました。
問い合わせ:忍びの里伊賀甲賀忍者協議会事務局
伊賀市観光戦略課【電話】0595-22-9670
甲賀市観光企画推進課【電話】0748-69-2190
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