■県指定文化財(絵画)
種生 常楽寺所蔵
◇絹本着色兼好法師像
テレビのクイズ番組で「『つれづれなるままに』の書き出しで有名な『徒然草』の作者は誰でしょう?」といった問題が出題されることがあります。解答として「吉田兼好」(兼好法師)が挙げられますが、このときテレビ画面に映し出される兼好法師の姿に、左下(※本紙参照)の絵画が使われることがあります。
兼好法師の文筆姿が描かれたこの作品は、種生の常楽寺に保管されていて、軸装仕上げ、縦97.9cm、横41.7cm、肉身は墨細線で描き起こし、淡紅色の暈取(くまど)りを施す入念な仕上げです。上部に画讃(がさん)、左下に落らっ款かんが記されます。画讃には兼好法師の「いかにして なくさむものを うきよとも そむかて すくす 人にとはゞや」の句が、落款には「土佐刑部権大輔従五位下藤原光成筆」と記されており、江戸時代の宮廷絵所(えどころ)預(あずか)りとなった土佐光成の筆とみられます。兼好法師のこの姿は『徒然草』序段に記された執筆の折の姿とも、第十三段の「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とする」とした姿とも見られます。
この画が伊賀の地にもたらされたのは、兼好法師にまつわる伝承が関係します。兼好法師の生涯は明らかでない部分が多く、晩年も京都双(ならび)ヶ丘の長泉寺や、鎌倉の上行寺などに住んだとの伝承が残されています。
その一つに、種生の国見山中腹にあった草蒿(こう)寺に庵を結んだとされる伝承があります。『徒然草』が広く読まれる江戸時代には、草蒿寺が廃絶した後もゆかりの地として人々を惹きつけ、松尾芭蕉や服部土芳といった俳人をはじめ、兼好法師を敬慕する人々がこの地を訪れています。
また、この絵画をはじめ掛軸や什(じゅう)器といった文物が奉納され、それは常楽寺に引き継がれ現在に至ります。
伝承が、文学的な名所として人々をこの地に誘い、伊賀の地に文物をもたらしたのです。
問合せ:文化財課
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