伊賀市では、平成29年2月22日(ニンニンニンの日)に「忍者市」を宣言しました。それから毎年2月を「忍者市月間」として、いろいろなイベントを行っています。今月号では、本当にいた忍者について、伊賀流忍者博物館学芸員の幸田 知春(こうだ ちはる)さんがリアルな忍者の姿を解説します。
※詳しくは本紙をご覧ください。
〔伊賀には昔、忍者がいたらしいけど、ホントなのかな?〕
「もちろんいたよ!でも、みんなが思っている忍者のイメージとは少し違うかもしれないね。」
伊賀流忍者博物館学芸員
幸田 知春さん
「実は、戦国時代の忍者の多くは、普段、農民として生活していたんだよ。」
「普段は普通の農民と同じでお米を作ったりして生活していて、戦いが起きたときに忍者として活動していたんだよ。だから、忍者の道具の中には、農具が元になっているものもあるんだよ。」
たとえば…
・かぎ縄(なわ)
ロープの先にかぎ状の金属がついている道具。
・鎖鎌(くさりがま)
鎌の柄に鎖がついた忍者の武器。忍者は日用品を武器として使っていた。
〔えっ、農民が忍者!?忍者って刀や手裏剣を使って敵と戦っていたんじゃないの?〕
「忍者は戦うことが仕事じゃなくて、敵の情報を集めてくることが一番の仕事だったんだよ。」
〔アニメみたいに派手(はで)な戦いはしてなかったんだね。〕
「だから、忍者は変装(へんそう)をしたりして見つからないようにして、城などに忍び込んだんだよ。忍者のイメージが少し変わったかな?」
・忍者の七方出(しちほうで)
忍者は敵地に潜入するときに正体を隠すために変装をしました。江戸時代に書かれた忍術書には「七方出」として変装する職業が書かれています。山伏や商人、僧侶(そうりょ)、農民、武士など、忍者は敵の情報を得るためにさまざまな職業に変装して目立たないようにしていました。
〔忍者がどんな人たちだったかは分かったけど、伊賀に本当にいたの?〕
「なかなか実感がわかないよね。」
「実は、伊賀には今も忍者が暮らしていた名残がいろんなところに残っているよ。」
たとえば…
・手力(てぢから)神社(東湯舟1025)
忍者として有名な藤林長門守(ながとのかみ)の氏神の神社。伊賀の忍者は火を使った忍術が得意だったとされており、手力神社の花火は藤林家が火を神社に奉納(ほうのう)したことが始まりといわれている。
・忍町(上野忍町)
江戸時代、藤堂藩に召し抱えられた忍者たちの屋敷があった地域。その名残が今でも地名に残っている。
・徳永寺(とくえいじ)(柘植町2318)
本能寺の変が起きた際、徳川家康が伊賀の忍者に守られながら、三河(現在の愛知県)に向かって移動していた時に泊まったとされるお寺。その時のお礼として、瓦に葵紋(あおいもん)を使うことを許され、今でもその瓦を見ることができる。
〔こんなにあったんだ!〕
〔忍者って伊賀では身近なところにいたんだね。〕
「忍者は伊賀の誇り。市内には他にも忍者が関係している場所がたくさんあるから、ぜひ忍者たちの痕跡(こんせき)を探してみてね!」
忍者について知りたくなったら伊賀流忍者博物館に行ってみよう!
また、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」公式ホームページでもリアルな忍者の姿を知ることができるよ。
問合せ:観光戦略課
【電話】22-9670【FAX】22-9695【メール】kankou@city.iga.lg.jp
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