■「とびら」
腰痛に苦しみ、2年あまりの間に3度の手術を経験しました。特に最後の手術前の半年間は、足腰の痛みとしびれで、杖が手放せなくなっていました。現在も通院中ですが、何とか杖を手放せるところまで回復しました。
この腰痛との「つきあい」の日々の中で気付いたことがあります。
それまで私は「社会には『障害者』と『健常者』がいる」と漠然と考えていました。
ところが「健常者」として「障害者」のことを考えるという立場にいた私が、杖が手放せなくなりました。当たり前にできていたことが、「困難になる」「できなくなる」という日常が続きました。
そんな中、私に芽生えたのが、「社会には『障害者』と『障害者になる可能性のある人』がいるんだ」という思いでした。
もちろん、「身体的な困難を体験して、障害者問題を自分事として受け止めることができた」とまで言うことはできません。私の体験した困難は一時的なもので、障害者が直面する状況とは根本的に違うものだと思います。
でも、「自分にも起こりうる問題だ」と実感できたことは確かです。今なら、当事者が置かれた状況や思いに、私なりの実感を重ねつつ、思いを巡らせることができると思います。
さらに、その思いを様々な人権問題にも広げることができるのではないかとも感じます。 自分にとっての「人権のとびら」を見つけることで、人権問題全般が実感を伴って、自分の日常に近づくのではないかと思います。
大上段に振りかぶって「人権とは?」でなくても、「これから高齢者になる自分」「かつて子どもだった自分」「松葉杖生活を経験した自分」「外科医と聞いて男性が浮かんだ自分」「外国で右往左往した自分」「ネット情報に振り回された自分」「出勤前、『本日の占いコーナー』に一喜一憂する自分」などなど…
自分の日常をちょっと違った視点から見つめることで、それまで気付かなかった「人権のとびら」が、「ここにある」「あそこにもあった」ときっと見つかると思います。
見つかった「人権のとびら」、開けてみませんか?
毎月11日は「人権を確かめ合う日」
ご意見は人権・男女共同参画推進室(【電話】63-7909)へ
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