■200年以上つながっている善八水道
江戸時代、村の庄屋などが私財を投じて、用水やマンボ(灌漑(かんがい)用のトンネル)を掘り、田畑に水を引く事業が各地で行われました。山村町の「善八水道」もその一つです。
江戸時代の山村は、雨水に頼る生活であったため、干ばつに苦しめられていました。見かねた大庄屋の伊藤善八は文化10(1813)年、地下水路の建設を決意しました。
現在の山村ダムがある場所は、かつて3つのため池と水田がある谷でした。伊藤善八は、この場所から十王山の山腹を掘り抜き、世尊寺(せそんじ)の横へトンネルを通し水路を完成させました。穴の高さは1.3m、幅は0.75mで、長さは230mにもわたり、3年がかりの大仕事でした。
現在は、危険なため出水口は鉄格子で塞がれていますが、山村ダムの堤の前にあるポンプ場から吸い上げた井戸水は、今も善八水道を通って田畑に供給されています。
世尊寺には、昭和27(1952)年2月に建てられた「善八水道之碑」があります。今もなお恩恵をもたらす先人の功績への敬意の念が感じられます。
問合せ:文化課
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