■東海道99番目の「三ツ谷の一里塚(づか)」跡
江戸時代の東海道には、約4kmごとに「一里塚」という旅人への目印が築かれていました。市内には、富田、三ツ谷、日永、内部の4カ所にあったとされ、それぞれ石碑や説明板などが建てられています。
その中でも、明らかに元の位置ではない場所に建てられている石碑が「三ツ谷の一里塚」跡です。なぜ位置が変わったのでしょうか。それは、昭和20年代に海蔵川を拡幅する工事で、元の塚が川に取り込まれてしまったからなのです。
元禄3(1690)年の絵図面には、「かいぞ川」のすぐ横の街道両側に「見つや」の塚の絵が描かれています。
現在ある石碑は、平成13(2001)年の「東海道宿場・伝馬制度制定400周年」を記念して、地元の「海蔵地区地域社会づくり推進委員会」が建てたものなのです。
海蔵川の有名な桜並木の傍らにひっそりとたたずむこの石碑は、江戸の日本橋から数えて東海道99番目の「三ツ谷の一里塚」が、かつてこの近くにあったことを今に伝えています。
問合せ:文化課
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