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歩いて発見。津の魅力 歴史散歩〔201〕

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三重県津市

白山町藤地内から布引峠へと続く県道29号を進むと、かつての元取小学校跡に建てられた元取公民館に至ります。公民館の道を挟んだ向かいには元取グリーン交流センターがあり、その裏手は城立地区の共同墓地となっています。
墓地の入口付近には、戦没者の供養碑などと並んで、「一石一字金剛般若墓(いっせきいちじこんごうはんにゃぼ)」と刻まれた石碑があります。この石碑は、かつて近くの民家の庭にあった中山下経塚のもので、県道改良事業に伴い道路の敷地となったため、平成17年に発掘調査が実施されたのち、同19年に現在の場所に移されました。
発掘調査では、石碑の下から陶器の壺(つぼ)が発見されました。高さ43.4cm、最大径36.5cmの信楽焼とみられ、口縁の一部が欠けているほかは、ほぼ完全な形でした。壺の中には墨で漢字が書かれた小石が納められていました。石は、平均2.1cm、最大でも7.6cmの小さなもので、全体で5,405点に及びます。一石に二文字が書かれたものが3点ありましたが、その他のものは一石に一字が書かれており、筆跡もまちまちであることから、複数の人間が参加して文字を石に書き写し、壺に収めて埋納したものと考えられます。石碑に「金剛般若墓」と刻まれていることから、これらの石は仏教の経典である「金剛般若波羅蜜多経(こんごうはんにゃはらみたきょう)」の文字を書き写したものと思われます。
このような小石に経文の文字を数文字ずつ書いた石は経石(きょうせき)といい、これらを埋納したものは、一石一字経塚や礫石(れきせき)経塚と呼ばれ、功徳を積むことや供養することを目的に江戸時代に盛んに作られました。中山下経塚も、他の出土遺物や石碑の銘文などから、江戸時代のものと考えられます。
中山下経塚の経石は、壺から取り出されて調査された後、城立共同墓地の中に再度埋納されました。壺はひび割れなどが見られたことから、新しいものに交換され、元の壺は、白山郷土資料館で展示されています。
城立共同墓地には他にも一石一字経塚があり、市内には寺院などを中心に、中山下経塚と同じような近世の経塚が残されている例があります。このような身近に残る石造物から、地域の歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
※詳しくは本紙をご覧ください。

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