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歩いて発見。津の魅力 歴史散歩〔203〕

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三重県津市

伊勢本街道は、大和国(奈良県)と伊勢神宮を最短で結ぶ街道で、参宮本街道や伊勢中街道とも呼ばれます。飛鳥・奈良時代(7~8世紀)には都から伊勢神宮へ向かう主要な道の一つでしたが、794年の平安京遷都に伴い鈴鹿峠越えが主流になると、一時期衰退しました。しかし、南北朝期(14世紀)以後、伊勢国司北畠(いせこくしきたばたけ)氏が美杉地域の多気を本拠地とし、多くの家臣が居住するようになると、多気を通るこの道が再び重要視されるようになります。
16世紀の織田信長勢の進攻による北畠氏滅亡以降も、道としての機能は失われることはありませんでした。そして江戸時代になると、大阪・奈良方面からの多くの伊勢参宮者でにぎわい、江戸末期には複数の旅籠(はたご)が建ち並ぶ多気宿として栄えました。
さて「サカムカエ」とは、旅から帰る人を村境などで出迎え、酒や食事を出してもてなすことを表します。漢字では「坂迎え」「境迎え」「酒迎え」などさまざまな表記があり、本来は宗教的行事であったものが、次第に宴の場としての機能に重点が置かれるようになっていったと考えられています。今回紹介するサカムカエ場は、美杉町上多気(かみたげ)字立川の東にある仁柿(にがき)峠から多気宿に向かって下った平坦地にあり、多気宿の東の入口に所在します。
かつて、集落の代表者が伊勢神宮へ代参する伊勢講が行われた際、村境にあるこの立川のサカムカエ場で、その集落の住民が代参者の帰還を迎えました。酒宴をもうけて土産話や伊勢土産を楽しみに代参者を待ち、再会を祝して無礼講で酒を酌み交わしたのち、みんなで伊勢音頭を高らかに歌いながら、集落まで連れ立って帰ったといわれています。
また、立川のサカムカエ場の傍らには、大正8(1919)年の銘が刻まれた馬頭(ばとう)観音碑などがまつられている祠があります。馬頭観音碑は、馬の供養や旅の道中を守る仏として路傍に建てられたもので、この地を多くの旅人が往来していたことが伺えます。
かつて交流と繁栄の道として栄えた伊勢本街道。旅人の帰還を祝ったサカムカエ場を訪れ、人々の結束と再会の喜びを想像してみてはいかがでしょうか。
※詳しくは本紙をご覧ください。

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