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歩いて発見。津の魅力 歴史散歩〔205〕

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三重県津市

奈良街道は、かつては「奈良道」「伊賀越えならみち」などと呼ばれ、美里町五百(いおの)野で津城下に向かう伊賀街道と分かれ、奈良・伊賀方面から伊勢へとつながる最短ルートとして多くの参宮者が利用しました。
この街道の分岐点に「茶屋の道標」はあります。花こう岩製の石柱の3つの面に「右さんぐう道」「すぐ津道」「左なら大さか道」と大きく刻まれ、残る1面にこの道標が天明6(1786)年に伊賀の油仲買人(なかがいにん)の人々により建立されたことが記されています。
古くは、鎌倉時代初期に奈良東大寺の大仏殿再建の中心となった僧である俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が伊勢参宮のためにこの道を通ったといわれています。また、江戸時代、この地には旅籠(はたご)が建ち並び、明治時代まで宿場として栄えていました。江戸時代後期に「大日本沿海與地(よち)全図(ぜんず)」を作成した伊能忠敬(いのうただたか)の測量隊もここを通行し宿泊したと伝えられています。
現在、この道標の脇には常夜燈があるのみで、周囲には水田が広がっています。奈良街道はここから南下して久居城下に向かいます。
下稲葉を経て山中を抜けた塩見坂からは伊勢湾を望むことができ、旧家軒先のたたずまいにかつての街道の雰囲気を残す羽野(はの)・戸木(へき)を経て、街道は万町(よろずまち)から幸町(さやまち)へと城下の北側を回り込むようにして鍵状の道が続きます。旅籠町(はたごまち)で南に向きを変える街道は、本町を抜けて川方(かわかた)へと進みます。近鉄桃園駅の西を通過し、牧(まき)から台地を下ってかつての雲出川の渡しへ至り、その先で松阪市中林町の「月本(つきもと)の追分(おいわけ)」で伊勢街道に合流します。
美里地域から久居地域を通り抜けて松阪市へと続き、伊勢参宮道として利用された奈良街道沿いは戦時下に空襲を受けていないこともあって、かつての街道筋の面影を今に色濃く残しています。
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