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歩いて発見。津の魅力 歴史散歩〔209〕

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三重県津市

■要害の地・草生(くさわ)城
グリーンロードの草生小南交差点から北西方向へ入り、緩やかな坂を上ると経ヶ峰の登山口への案内板があります。その角を曲がり、県道28号へ入ると急な坂道が続き、緩く蛇行する坂の途中に草生城の案内板が見えてきます。
草生城は標高130mの経ヶ峰山麓の丘陵端部、通称八幡(はちまん)山と呼ばれる要害地(防御と戦闘性に富んだ地形)を利用して築城された中世城館です。
草生城は東西に250m、南北に90mの規模で、堀と土塁、郭(かく)(石垣や土塁で仕切られた一区画)で形成されています。北西部の幅の広い堀に囲まれた一段高い場所を主郭とし、その西角には櫓(やぐら)跡が残っています。主郭の南東側には4つの郭が連なり、主郭の南側には広い郭が形成されています。また、郭の北東には出丸(でまる)(本丸の外に張り出した郭)も見られます。城が築かれた丘陵の尾根は東に延びるに従って細くなり、東端部は見張り台があり、その周囲は崖になっています。
正確な築城年代は分かっていませんが、戦国時代に築かれたと推定され、城主は国人(こくじん)領主長野氏の一族である草生氏と伝えられています。
草生城は永禄年間(1558~1570年)、織田信長の軍勢に攻められて廃城となりました。
草生城は中世城館の中では比較的残りがよく、構造の分かりやすい城といわれています。また、標高の高い場所に位置し、伊勢湾まで見渡すことができる展望の良い場所にあります。近くには草生天神と呼ばれる比佐豆知菅原(ひさずちすがわら)神社があり、学問の神として知られる菅原道真が祭られています。草生城の「武」とともに、同神社を訪れ「学」も感じてみてはいかがでしょうか。
※画像など詳しくは本紙をご覧ください。

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