■津城かわら版(5) 絵図に見る城下の変遷
江戸時代、津の町は城を中心に発展してきました。その変化の様子は、市が所蔵する各時期の絵図の描写を比較することでたどることができます。
これらの絵図にはそれぞれ特徴があり、最も早い時期に描かれた寛永期(17世紀前半)の絵図は、城を中心に模式的に描かれ、武家屋敷と町家が色分けされています。享保期(18世紀前半)の絵図は方位や縮尺などが比較的忠実に描かれ、この時期には城下の西側の武家屋敷の範囲が拡大していることも分かります。幕末に近い嘉永期(19世紀中頃)の絵図には、文政3(1820)年に設置された藩校である有造館が本丸南東側の二之丸に描かれています。享保期と比べて城下町の規模は変わりませんが、余白には津城をはじめ寺社などの歴史が事細かに書き込まれ、城下の変遷を時系列で理解できる内容となっています。
この3枚の絵図のほかに、江戸時代の津城下の絵図はいくつか確認されています。こうした絵図は、各時期にさまざまな契機で作成されましたが、その中で、全国一斉に城下絵図が作成された時期があります。それは、正保(しょうほう)元(1644)年に幕府から全国の諸藩に提出の命が下された「正保絵図」です。正保絵図には国絵図と城絵図があり、特に城絵図は個々の石垣の高さや長さをはじめとして、堀の幅や深さに至るまで、詳細な城郭の様子が把握でき、その正確さから当時の城を探る貴重な歴史資料となっています。
三重県下でこの城絵図が現存しているのは、桑名城・亀山城・松坂城のみで、残念ながら津城は残っていません。ただ、近年になって津城の城絵図の基礎資料となった可能性のある絵図が確認され、今後の詳細な分析が待たれるところです。
高虎築城術の到達点と評価されるほど完成度の高い津城を中心として発展してきた津城下町は、前述の3枚の絵図をたどることにより、時代とともに変化しながら発展してきたことが把握できます。
次回から、寛永・享保・嘉永の各時期の絵図を個々に詳しく見ていきます。
※画像など詳しくは本紙をご覧ください。
次回の「津城かわら版(広報津4月16日号)」
寛永期の城下絵図を見る
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