■初瀬(はせ)街道の谷戸(たんど)坂
初瀬街道は伊勢参宮が盛んになるにつれて伊勢本街道よりも多く利用されていました。この街道は江戸時代中期から明治時代初期にかけて最もにぎわった街道で、奈良県の初瀬(桜井市)から榛原(はいばら)(宇陀市)を通って、名張市、阿保(あお)(伊賀市)を経て、青山峠を越えて白山地域に入ります。白山地域では垣内、二本木を経て、一志町大仰(おおのき)で雲出川を渡り、田尻、八太を通って六軒(松阪市)で参宮街道に合流するというおおむね現在の近鉄大阪線に沿った街道で、大阪方面から伊勢まで片道4、5日という長い旅路でした。
一志地域においては、現在の大仰橋から約200m下流に雲出川を渡る板橋があったと伝えられています。橋は通行料を支払って渡るもので、土地の人たちが「橋講(はしこう)」と呼ばれる組織を作って維持管理に当たっており、増水時には板橋を引き上げ、舟による渡しに切り替えていたそうです。
大仰橋の東方に位置する谷戸坂は、崖面を登るような急な坂であったため、通行を介添えする「ケツ押し」と呼ばれる人たちがいたといわれています。この坂には、岩盤の表面が風化して、ちょうどボタンの花がいくつも咲いたように見えた巨大な岩があったことから、別名「ぼたん峠」とも呼ばれていました。峠の茶屋で売る名物の沢蟹焼きや、道沿いを彩ったしだれ桜と併せて、関西方面まで知られた街道の名所となっていたようです。地元に残る歌からも、当時の谷戸坂の様子が伺えます。
やとこせ 伊勢谷戸名物 三つござる
ぼたん峠に しだれの桜
蟹を喰い喰い 伊勢参り
谷戸坂の頂上付近に位置する祠(ほこら)を左手に見ながら坂道を下ると、伊勢平野に入ります。この道はかつては地元で産出する通称「井関石」と呼ばれる砂岩で舗装されており、初瀬街道の中でも風情のある場所であったといわれています。
春の一日、在りし日の旅人の姿をしのびながら、谷戸坂を歩いてみてはいかがでしょうか。
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