津市河芸地域出身で、日本を代表する津軽三味線奏者の駒田早代さん。卓越した技術をベースに現代的なアレンジで新しい三味線音楽を創り出し、ワールドワイドにファンを増やす一方で地元に根差した活動を大切にし、伝統文化の継承にも取り組んでいます。今回の市長対談では、三味線を武器にグローバルとローカルを行き来して発信する駒田さんにお話を伺いました。
●時代にマッチした発信スタイルが素敵です
津市長 前葉 泰幸(MAEBA YASUYUKI)
●伝統を残すため、私なりに貢献したい
津軽三味線アーティスト 駒田 早代(KOMADA SAYO)さん
1999年津市生まれ。7歳から津軽三味線、10歳から民謡を始める。津高校在学中に第9回津軽三味線日本一決定戦A級女性の部で優勝するなど、受賞多数。2022年に東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業。現在はプロ奏者として各地で演奏活動を行い、古典とモダンを融合させた独自の音楽性で国内外から注目を集めている。
市長:駒田さんは国内だけでなく海外公演もなさっていて、最近はペルーまで行かれたそうですね。
駒田:日本人ペルー移住125周年記念コンサートのメインステージで演奏しました。後半には現地のメンバーも加わってスペイン語でペルー民謡を歌ったりして、観客の皆さんにスタンディングオベーションで喜んでいただきました。南米の音楽はリズムが難しく、日本の民謡とは全く違います。でも現地の方が弾き始めると独特の手拍子が始まって皆さんの息がピッタリ合う。国によって染み付いたリズムが違うんだと感じ、すごく刺激的でした。
市長:文化の交流ですね。そもそも三味線という日本の古典楽器にはどのようにして出会ったのですか。
駒田:昔、ドリフターズの志村けんさんがかくし芸大会で三味線を弾く姿が母の記憶に強く残っていたらしく、私が小学校に入学した頃に何か習い事がしたいと相談した時に三味線はどうかと勧めてもらったのがきっかけです。
市長:高木ブーさんのウクレレではなく、志村けんさんの三味線ですか。7歳でこんなに大きな津軽三味線を弾くのは大変だったでしょうね。
駒田:子どもも大人と同じサイズを使うので、重さ3~4kgの楽器を持つだけで必死でした。
市長:そして弾きながら歌うようになり、さらに足で叩く太鼓も。これは独自のコンビネーションですね。
駒田:世界初だと思います。朝陽中学校の吹奏楽部で、リズム感を鍛えたいと思ってドラムを担当していた時、ドラムができるなら三味線を弾きながら歌って足で太鼓もできるんじゃないかと思い、足太鼓というオリジナルの楽器を発案しました。祖父は手先が器用で、私のアイデアを伝えたらイメージ通りに作ってくれたんです。
市長:その後、津高校2年生の時に日本一になられて、東京藝術大学へ。いろんな進路がある中で、三味線でいこうと決めたのはなぜですか。
駒田:受験期に周りが志望大学を目指す中、私も勉強を頑張っていましたが、2年生の夏の三者面談で担任の先生に「日本一にもなった津軽三味線を趣味で終わらせていいのか」と言われた時に「趣味じゃない!」って思ったんです。せっかく大学に行かせてもらえるのだから本当に学びたいことを学びなさいと言われ、じゃあ三味線だと気付かされました。そこから藝大を目指し始めたものの、情報がなくて右も左も分からない。先生方もサポートのしようがない状況でしたが、心強い応援をいただき、他の生徒が数学を勉強している時に私は音楽室で三味線を弾かせていただいたりしていました。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>