文字サイズ
自治体の皆さまへ

【特集】熊野大花火大会(1)

1/24

三重県熊野市

■熊野花火の歴史
▽起源
熊野の花火の起源は300年以上前ともいわれ、三河花火に続く古い歴史と伝統を持つ行事として受け継がれてきました。盆の16日に極楽寺(木本町)の境内で初精霊供養の松明を投げ合い、回転花火の点火を競い合う柱はしらまつ松の花火を行ったことがはじまりとされています。

▽明治
三河花火や江戸の玉屋・鍵屋などの影響を受けて、次第に趣向を凝らす仕掛け花火も登場し、明治の終わり頃までは十数名の花火師が技を競い合っていました。この頃の花火は、柱松、大流星、連星などがあり、アマチュア花火師も参加して、連星の長さや輝きを競い合いました。やがて見物客が増えたため、七里御浜へと会場を移して行われるようになりました。

▽大正
大正12年の木本町奥川家二代目と初代上田家の初盆供養の競演花火大会では、木本青年会主催により観光的要素も加わり、藤の棚、合同灯篭焼き、20メートルの大柱松、百花園、三河・大阪の仕掛け花火などが行われました。
当時は、花火業者も7~8軒あり、全盛期にはシンガポールへも花火が輸出されていました。

▽昭和
昭和の初め頃、鬼ヶ城の岩場で大仕掛けが行われるようになります。
戦争中は、花火大会も中断され、その間に素人花火師たちのほとんどが姿を消しました。専門花火師も、山口、川上両家の転居等で、現在の和田煙火店のみが残りました。昭和38年以降は、現在のように毎年8月17日に開催されるようになります。

▽平成~
クライマックスを飾る鬼ヶ城大仕掛花火は、初めは船着き場の少しのスペースで打ち上げていましたが、平成5年頃からケイソンや磯など広範囲に仕掛けて行うようになりました。
見物客が多く訪れる熊野大花火大会ですが、その起源は初精霊供養です。現在も、木本地区の初盆を迎える家庭では、8月15日に盆送り行事が行われ、初精霊を補ふだらく陀落の海に流し、17日には花火を打ち上げることで御霊を天に送るという熊野ならではの独特な風習が今も続いています。
(編集 8月23日)

■ご存じですか?彩色千輪の秘密
彩色千輪は和田煙火店三代目の和田憲明さんが試行錯誤を繰り返し完成させたもので、10号玉の中に33発の花火を仕込んだものを15発一斉に打ち上げています。33×15-495ですので500発近い七色の花火が夜空を彩ります。本紙掲載の写真をよく見ると〇部分に15個の強い光が確認できます。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU