第13回「高虎サミットin熊野」を10月19日・20日に市内において開催しました。
サミットセレモニーでは、藤堂宗家、藤堂高虎ゆかりの地の首長や顕彰団体が熊野市において一堂に会しました。サミット宣言では、そのつながりを軸に個性あふれる魅力あるまちづくりに取り組むことを誓い、熊野市から次回開催地である津市にサミット旗の引継ぎが行われました。
藤堂高虎は、戦国時代を生き抜き、徳川家康とともに泰平の世を築いた名武将の一人ですが、「広報くまの」のコラムでは、1年8カ月にわたり、その人となりや来歴、また携わった城の紹介などあらゆる角度からアプローチを行ってきました。
最後に、若き日の高虎が築城したと言われている赤木城について、おさらいをします。
赤木地域は、天正13年(1585)、豊臣秀吉の紀州征伐により、豊臣秀長の支配地となりました。豊臣政権の木材確保と一揆鎮圧の拠点として赤木城が築かれたのは、天正17年(1589)頃といわれています。
当時は戦(いくさ)のための拠点であった赤木城は、400年余の時を経て、国指定の史跡となり、高虎が造った城の原点とまでいわれ、全国的に名の通った文化財となりました。
これからも、赤木城跡が市民の皆さんにとってかけがえのない歴史的・文化的遺産として、また、「高虎サミットin熊野」で芽生えたゆかりの地の方々との絆を大切にしていくためにも城跡の保全に尽力していきたいと思います。
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