城郭考古学者として、著名な千田嘉博(せんだよしひろ)先生がNHK名古屋放送局と田丸城址の取材で来城されました。450年前の天正3年(1575年)、織田信長が安土城を造る前に息子信雄(のぶかつ)に「天守」を試作させた、それが田丸城ではないか、したがって日本史上初の天守だ、千田先生をはじめ城郭考古学者が一様に語っておられます。さらに、「玉城中学校校門前の虎口(こぐち)には防御と攻撃を兼ねた桝形(ますがた)を備え、大手町から見える東側の全面は石垣で飾り、本丸を除いて背後は、土塁で防御性よりも見せる効果もあった。」と、この日も千田先生は田丸城の特徴を詳しく語っておられました。
先日から、北の丸の雑木を伐採、西側にくっきりと土塁の城郭が現れました。外城田平野の眺望は見事です。天気の良い日は、富士山が見える田丸城、織田信雄や歴代城主も眺めていたことでしょう。何よりも現在に良い状態で残った理由は昭和3年(1928年)に当時の田丸町に国から城址を買い取るように働きかけ寄附をされた村山龍平(りょうへい)翁のおかげです。翁の意思を引き継いで田丸城址を大切に守りながらまちの誇りをつないでいかねばいけないと考えています。
2月12日町長室にて 辻村修一
※「辻村」の「辻」は環境依存文字のため、置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。
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