■扁額「菰野山采薬」
安政5年(1858年)5月に名古屋の嘗百社(しょうひゃくしゃ)と飯沼慾斎(いいぬまよくさい)らが菰野山に登り植物採集を行いました。その際、杉屋旅館の主人であった杉屋喜三郎(すぎやきさぶろう)が道案内を担った御礼として伊藤圭介(いとうけいすけ)から贈られた扁額(へんがく)が「菰野山采薬(こものやまさいやく)」です。扁額の原本は万延元年(1861年)に描かれましたが滅失しており、明治以降に原本を見た近藤謙蔵(こんどうけんぞう)が絵を出口対石(でぐちたいせき)に、筆を寺岡嘉太郎(てらおかかたろう)に依頼して模写させたものが現在も残っています。
描かれた絵には、杖で金蛇(かなへび)を捕まえようとしている吉田平九郎(よしだへいくろう)、竹駕籠(たけかごの)側に立っている飯沼慾斎、白髪の老人で手に植物を持っている富永武太夫(とみながぶたゆう)、石に腰を掛けている伊藤圭介、駕籠の後ろで煙管を吹かしている杉屋喜三郎が描かれ、江戸時代の植物学者たちが植物を採集する様子を伝えています。
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