■初の世界選手権で輝いた“ニッポン”
1963(昭和38)年、前年に開場したばかりの鈴鹿サーキットで、春に4輪、秋に2輪の「日本グランプリ」が初めて開催されました。
「国名+グランプリ」は、その国の最高峰に位置付けられるレースで、4輪の日本グランプリが独自の国際レースとして行われたのに対し、2輪の日本グランプリは、各国を転戦して争われる世界選手権シリーズの最終戦として行われました。つまり日本初の世界選手権レースでもあったのです。
11月10日に行われた決勝は、250ccクラスチャンピオン決定の舞台となりました。レースはホンダとヤマハが激突する構図となり、上位3台の順位が毎周のように入れ替わるなどの激戦で、大観衆をわかせました。
24周の戦いを制し、世界王者に輝いたのはイギリスのジム・レッドマン選手(ホンダ)でしたが、特筆すべきは伊藤史朗(いとうふみお)選手(ヤマハ)が見事2位に入ったことです。
誕生したばかりの国際サーキットで、日本製マシンと選手が輝きを放ったことは、日本のモータースポーツの発展を予感させるような出来事でした。
中野能成(なかのよししげ)(鈴鹿モータースポーツ友の会 事務局)
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