■モータースポーツお宝探検隊vol.20
1983年6月、一人のトップライダーが不慮の事故により帰らぬ人となりました。そのライダーの名は木山賢吾(きやまけんご)選手(享年30)。ホンダ鈴鹿製作所の社内チーム「鈴鹿レーシング」所属からホンダRSCでの契約となり、鈴鹿8耐や国内レースでの活躍に加え、世界GPマシンの開発など、ますますの活躍が期待されていた中での悲報でした。
その約2カ月前にヘルメットとサイン入り色紙を木山選手から譲り受けたのが、メカニックとして支えた濱端進(はまはたすすむ)さん(72歳 鈴鹿ハイツ)。二人は自宅を行き来するほどの仲でしたが、結果的にこれらは木山選手の忘れ形見となってしまいました。
ビッグマシンを自在に操る豪快なライディングで知られた木山選手の走りは、たゆまぬ研究心に裏打ちされた繊細かつ理論的なものであり、安定感は抜群でした。それだけに事故の報に接した濱端さんの悲しみはもちろん、驚きも大きかったそうです。
開発ライダーとして木山選手が情熱を注いだマシンは、その年の世界チャンピオンに輝きました。
中野能成(なかのよししげ)(鈴鹿モータースポーツ友の会 事務局)
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