会期:12月21日(土)~令和7年4月6日(日)
休館日:12月26日(木)~30日(月)
場所:海の博物館 特別展示室
12月21日(土)から特別展「答志島―古代から続く海民たちの島―」を開催します。
答志島は、鳥羽湾に浮かぶ有人離島の中で一番大きな島で、周囲約26キロの島内には答志、和具、桃取の3つの地区があり、令和5年9月現在、約1,750人が暮らしています。島に暮らす約8割の人々が漁業に従事しており、美味しい魚などを求めて観光で訪れる人も多く、島内には10軒あまりの宿泊施設があります。鳥羽からの航路は和具~答志航路と桃取航路があり、島の尾根には和具と桃取を結ぶ約6キロの「答志島スカイライン」が走っていますが、島内にバスなどの公共交通機関はありません。
答志島の歴史は古く、大築海島(おつくみじま)には縄文時代と考えられる貝塚があり、蟹穴古墳からは古墳時代の須恵器(すえき)が出土しています。奈良時代の平城宮出土木簡には、答志郷から「堅魚」(かたうお・かつお)、「多比」(たい)、「貽貝」(いのかい)、「加自米」(かじめ)、「名止毛」(なのりそ・あかもく)、「海藻根」(まなかし・めかぶ)、「塩」(しお)など、和具郷から「堅魚」、「鯛」、「貽貝」、「海藻」(にぎめ・わかめ)、「伊祇須」(いぎす)、「名乃利毛」(なのりそ)などの記銘がみえ、答志島の海産物が奈良の都に届けられていたことがわかっています。
さらに答志島は、戦国武将・九鬼嘉隆ゆかりの地でもあり、和具地区には嘉隆の「首塚」や「胴塚」があります。そして九鬼の時代に始まったといわれる「寝屋子制度」は、全国でも答志地区だけに残る制度で、中学校を卒業した男子数人が一定の期間「寝屋親」の家で過ごし、その後生涯の兄弟、親子の絆を結びます。
今回の特別展は、3つの地区のうち距離の近い答志地区と和具地区について、近年の漁業の実情と100年以上前の漁業の記録や古い写真、海女漁の出稼ぎや取り決め、博物館が所蔵している漁具類、答志島の名所などを展示・紹介することで、離島の漁業の歴史(移り変わり)について理解を深めてもらおうと企画しました。
■魚醤(ぎょしょう)づくり講座
伊勢志摩で獲れた魚を原料に、発酵職人と数ヶ月後の魚醤の完成を目指します。ご自宅でも簡単にできる調理法を学べます。
日時:12月15日(日)午後1時~2時30分
場所:海の博物館 体験学習室
定員:20人(要予約)
参加費:大人1,000円
学生:600円(入館料込み)
対象:小学生以上
持ち物:エプロン
問合せ:市立海の博物館
【電話】33-6606
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