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中村欣一郎市長の山椒(さんしょう)は小粒(こつぶ)でも… Vol.76

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三重県鳥羽市

■これまでの昭和とこれからの令和

「創業当時の伊勢湾フェリーは桜色の船体でした」…4月4日に創立60周年を迎えた伊勢湾フェリー記念式典での社長のあいさつです。思いがけず私の中の琴線に触れました。今は
白に淡いブルーの水玉ですが、そういえば淡いピンクがベースだったなぁと、子ども心にきっと今より巨大に見えていたであろうフェリーと昭和の時代が思い返されました。
また3月23日には加茂川水系治水の一環をなす鳥羽河内ダムの本体工事の起工式が挙行されました。その加茂川河口部の赤崎、大明西・東地区では、今でこそ公共施設が集積し、多くの市民が集う地域となりましたが、昔の形状はというと、大明側と鳥羽側の道はつながっておらず、車は上流域の岩倉をまわる必要がありました。また、安楽島から鳥羽へ出るときは徒歩や自転車で安久志まで行き、そこから渡し船で中之郷へ渡って通勤するのが常でした。加茂川に安楽島橋が架かったのは昭和38年、安楽島大橋は昭和49年になります。
この渡し船のことは私もかすかに憶えているのですが、鳥羽の公共交通のことでいうと、パールロードができる以前には定期船が本浦や石鏡まで通っていました。これはさすがに私も記憶にありません。当時は定期船とは言わず、巡航船と呼びました。それまではいわゆる陸の孤島状態でしたから、麻生(おお)の浦(うら)大橋が架けられ、パールロードが開通した日には、さぞかし地元は涌き返ったことと思います。
今年1月の能登半島地震での道路の寸断状況を見ると、決して人ごとではありません。鳥羽でも仮に道路が寸断されたとしても、早急に別の手段で分断を解消できるような粘り強い防災が必要だと改めて感じています。引き続き、備蓄や避難所の運営のあり方についても、みなさんと話をする場をもうけてまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
鳥羽市も今年は市制発足70年という節目を迎えます。これまでの鳥羽市を造ってこられた先人たちへの感謝を忘れることなく、またこれからの新しい時代を創っていく次の世代に、明るい可能性を感じられる鳥羽を渡していかねばと思っています。

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