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文化財めぐり(445)

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京都府亀岡市

◆明智光秀伝承の由来
明智光秀に関しては、亀山城を築城した人物、あるいは「亀山」の地名を初めて使用した人物として知られるいっぽう、市内では各地域の寺社を焼き討ちした人物として語られることがあります。
明智光秀によって焼き討ちされた伝承を持つ寺社は、旧篠山街道沿いに多く、光秀による奥丹波侵攻の際に実際に被害にあった可能性はあります。
ただ亀岡市域は、光秀以前の松永長頼(まつなが ながより)(宗勝(そうしょう))が八木城主だった時代にも多くの戦争が起きており、その時代に燃えた寺社等も、のちの時代にすべて「光秀の仕業」にされてしまった可能性もあると思われます。
いっぽう、千歳町の神応寺(じんのうじ)や国分寺等には、部材や石材を光秀が持ち去ったとする伝承が残ります。この点に関しては、光秀が家臣に宛てた書状のなかで「河原尻にある寺社の部材を保津川端(勝林島)まで持ってきなさい」と指示しており、亀山城築城等にあたって川東地域に所在する寺社の部材等が実際に再利用された可能性は高いと考えられます。
大河ドラマに際し新たな側面も注目された明智光秀ですが、地域に残る伝承を紐解いていけば、また新たな事実が見つかるかもしれません。

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