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文化財めぐり(440)

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京都府亀岡市

◆戦国亀岡の様相(1)-別院地域-
戦国時代、別院荘(べついんのしょう)(現在の東西別院町周辺)で勢力を拡大していたのが中澤氏です。
中澤氏は、もともと武蔵国を本拠地とした武士でしたが、承久の乱のときに丹波国大山荘(丹波篠山市)や別院荘の地頭職(じとうしき)を与えられて西国へ移ってきた一族です(いわゆる西遷御家人)。
足利尊氏(あしかがたかうじ)が篠村八幡宮で旗揚げしたとき、中澤氏は真っ先に応援に駆け付けたため、足利氏の重臣に登用されます。その後、室町幕府の奉行人に任ぜられてその文書発給に携わり、文書発給を通じて別院荘等の在地でも権力を拡大していきました。
中澤氏が在地支配の拠点として築いたのが、西別院町笑路に位置する笑路城や、犬甘野に位置する犬甘野城です。江戸時代初期に記された史料では、笑路城は惣領家が、犬甘野城は一族が城主となったと記されていますが、いずれにせよ両城とも中澤氏が築いたことは間違いありません。
もともと別院荘の領主であった仁和寺は、戦国時代になると資料等に出てこなくなるので、中澤氏らによって在地の支配権が奪われたものと考えられます。
中澤氏による別院荘の支配は、明智光秀が現れる十六世紀後半まで続きました。

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