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文化財めぐり(441)

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京都府亀岡市

◆戦国亀岡の様相(2)-出雲三村-
現在の千歳町では、江戸時代以前の村(いわゆる近世村)の名称の多くが地名からは確認できませんが、江島里(えじまり)村・出雲(いずも)村・国分(こくぶ)村・毘沙門村・中村など多くの村落がありました。
このうち、江島里村・中村・出雲村は、戦国時代に出雲三か村と呼ばれ、戦国時代以前には連携して近隣村落との訴訟や相論に対応していました。
この村々は「出雲三か村」と呼ばれる通り、出雲神社の領地だったと思われますが、「雨悦風流事」を「順次」に務めたとする史料もあり、出雲神社の神事を務めることによって結びつきを強めたのかもしれません。
さて、戦国時代にこの三か村と瓦尻村(河原尻村)との間で「御影山」を舞台に山相論が勃発しました。いずれかの住人が御影山の木を勝手に刈り取ったことが原因のようですが、興味深いのは、この相論が両者の話し合いでは決着がつかず、それぞれ上級の領主である龍安寺(出雲三か村側)と宝鏡寺(河原尻村側)が登場するに至り、さらには管領細川氏と室町幕府の対立に発展した点です。
村の相論が幕府の権力闘争に結び付くというのが、なんとも戦国時代らしいともいえます。

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