◆石田三成と亀山
石田三成と聞いて、どのような出来事を思い浮かべるでしょうか。
近年その知名度がさらに上がりましたが、「天下分け目の関ケ原合戦」で豊臣軍として徳川家康軍と戦い、敗戦した武将として有名です。また、豊臣家五奉行のひとりとして政権内で辣腕をふるった人物としてもよく知られていると思います。
しかし、三成が丹波亀山城に在城していたことは、ほとんど知られていないのではないでしょうか。
江戸時代に作成された記録『亀山城主記』には石田三成の在城は記されていましたが、近年の研究で、石田三成が羽柴於次秀勝、羽柴小吉秀勝に続いて天正十七年(一五八九)八月~天正十九年(一五九一)四月の期間に亀山城に入っていたことが指摘されました。
石田三成が亀山に在城していた時期の史料として、三成の重臣である嶋左近の妻おちゃちゃを見舞うため、妻の父親が亀山へ来たという記事があります。ここから、嶋左近をはじめ石田三成の家臣団が(家族で)亀山に居住していたことがわかります。
前回紹介したように御次秀勝の段階で外堀内に家臣の屋敷が確認できますが、石田三成の時期までに、さらに家臣の居住空間の整備が進んでいたことがうかがえるのです。
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