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文化財めぐり(449)

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京都府亀岡市

◆小早川秀秋と亀山
石田三成に次いで亀山城主に任命されたのは羽柴秀俊ーのちの小早川秀秋です。関ケ原合戦の際、豊臣軍から徳川家康軍に寝返ったことで有名な人物です。
小早川秀秋のころの亀山城下町の様子を示す史料が、東竪町にある聖隣寺に残されています。史料というのは、天正19年(1591)の7月27日付で、秀秋家臣の山口宗長が記した「町中寺庵地子書立」と、渡邊勘右衛門による副状(そえじょう)です。この中で宗長は、専念寺・大圓寺・寿専庵・栖隣庵・長徳寺(ちょうとくじ)の5カ寺に対し、来年の秋以降に米を2石ずつ与えると伝えています。
専念寺は現在の塩屋町にある同名の寺院、大圓寺は同じく西町の寺院、寿専庵は本町の寿仙院の前身、栖隣庵は聖隣寺の前身、長徳寺は西竪町の宗堅寺の前身と考えられますので、当時これらの寺院が亀山城下の「町中」に含まれていたことがわかります。
問題はこの「町中」の範囲です。寿専庵はもともと本丸近くにあり、栖隣庵は元々称名寺の隣にあったと伝わりますので、当時の亀山城下町が西町~東西竪町まで広がっていたことがうかがえるのです。
この史料は、小早川秀秋が城主のころまでに亀山城下町の範囲が、江戸初期と同じくらいに広がっていたことを示す貴重なものです。

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