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文化財めぐり 451

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京都府亀岡市

■寺の移転と亀山城下町の整備
豊臣政権期の亀山城下町整備について、城下の寺院に残る寺伝ではどのように記されているでしょうか。
北町にある地蔵院は、もともと追分村(現追分町)にあったものが「亀山城築城後」に現在の場所に移転してきたと伝わります。本町にある寿仙院は、元亀三年(一五七二)開山とされ、元々亀山城の近くにあったものが前田玄以(まえだげんい)の時代に現在地に移転し、本門寺は元々京都の二条柳馬場に開かれましたが、桑田郡奥条(現ひえ田野町)に移った後、前田玄以の時代に現在の場所へ移転したと伝わります。また法華寺は、寛正五年(一四六四)に開かれたものが小早川秀秋(こばやかわひであき)の時代に現在地に移ってきたと伝えられています。
いっぽう、矢田町にある正誓寺は天正六年(一五七八)に中矢田にあったものが亀山城下の整備に際して現在地へ移転し、宗福寺は永享五年(一四三三)に開かれたものがやはり城下町の整備に伴って移転してきたと伝わっています。
以上のように、城下町の寺院は多くが小早川秀秋や前田玄以が城主の時代、「城下町整備」のときに移転してきたと伝わっています。このことは、寺院の城下町への移転が、豊臣政権によって意図的に進められたことを示していると考えられます。

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