■京丹後市市制20周年 京丹後市名誉市民として顕彰 故・谷垣雄三(たにがきゆうぞう)さん
ニジェールの野口英世と呼ばれた医師
アフリカの地で多くの命を救い、生涯のほとんどを捧げた郷土の誇り
峰山町出身の故・谷垣雄三さんは、遠くアフリカ・ニジェールの地に36年間滞在し、貧しい地方で援助に頼らない自己負担による自立した医療体制を作るため、独自の医療構想を打ち出し、さらに私財を投じて2度にわたる医療施設の建設なども行いながら、厳しい医療環境の中で延べ1万2千回を超える手術を行うなど、ニジェールでの医療活動と医療体制の確立に生涯を捧げられました。谷垣さんのことを敬意を込め「ニジェールの野口英世」と呼ぶ人がいるほどの卓越した功績は、ふるさと京丹後の大いなる誇りです。
▽主な受賞歴
1994年 読売国際医療功労賞
2008年 シチズン・オブ・ザ・イヤー賞
2009年 読売国際協力賞
2010年 京都オムロン・ヒューマン大賞
2010年 公益財団法人社会貢献賞
▽谷垣医師の主な経歴
京丹後に生まれ医学の道へと進み、やがて多くの人の希望となった人生の歩み
1941年 峰山町に生まれ、峰山小学校、峰山中学校、峰山高等学校を卒業。
1967年 信州大学医学部を卒業。1979年国内の病院で勤務した後、IRSA(ウラン鉱試掘調査)の嘱託医として、アフリカ・ニジェールに渡る。
1980年 ニジェールから帰国後、数年間フランス語を学びながら東京都内の病院に勤務。
1982年 お金がない、病院がない、医者がいないために手足を失ったり、助かる命も助からない厳しい現実を目の当たりにし、再度ニジェール行きを希望。JICA(国際協力機構)医療専門家としてニジェールに派遣され、首都ニアメの国立病院の外科医として赴任。この際、静子夫人も同行した。
1992年 「地方住民への外科医療を充実させるために地方に外科施設が必要」とニジェール政府へ提案。国土中央のテッサワに、自費で外科診療所「パイロットセンター(試験的病院)」を建設し、その地に移住。医療体制の確立や外科医の育成を模索し、海外からの援助に頼らない医療の自立を目指した実践に乗り出す。
2001年 JICA派遣任期が終了し、深刻な資金不足に直面するも自費で活動を継続。NPO医学教育支援機構、横浜港北ロータリークラブ、出身地の峰山町などに支援の輪が広がる。
2002年 ニジェール政府の政策変更で、旧パイロットセンターが国有化され、再度テッサワに自費で新パイロットセンターを建設。丹後地方在住の同級生ら20人による「谷垣雄三医師を支援する会」が発足。この会からの支援金は15年間で3,300万円を超え、また、京丹後の多くの学校から贈られたガーゼ代わりのタオルや手袋などは段ボール120箱に達した。
2004年 支援する会が、アフリカと丹後を結ぶ「友情の記念碑」を峰山総合運動公園に建立。
2007年 住民負担の地方外科を確立する目的を達成したとして提言書を作成、ニアメで保健大臣らを前に発表。
2017年 ニジェール・テッサワにて永眠。(享年75歳)
2019年 パイロットセンターが「ユウゾウ・タニガキ県病院」に生まれ変わり、テッサワ地方の基幹的な機能を持つ総合病院となる。
2020年 静子夫人と住んでいたテッサワの住居は「マダム・シズコ保健センター」に生まれ変わり、産院があり、母親が安心して出産し、母と子の命と健康を守る施設となる。
2022年には、書籍「外科医谷垣雄三物語」が出版。2023年には、地元京丹後ロータリークラブの主催で谷垣雄三医師夫妻顕彰展が開催されるなど、近年谷垣医師を顕彰する動きが相次いでいる。また今年8月には、谷垣医師を題材にした絵本「ひとつぶの麦」が発行。
参照文献:川本晴夫(2022).「ニジェールのドクター・タニ外科医谷垣雄三物語」国際開発ジャーナル社、おぎのしんさく(2024).「Dr.タニひとつぶの麦」谷垣雄三医師を支援する会
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