■共に目指す真夏の甲子園〝せいち〟 STORIES―”甲子園”という目標
7月26日わかさスタジアム、第106回全国高等学校野球選手権京都大会の準決勝第一試合。松下浩司(まつしたこうじ)監督(峰山町出身)率いる鳥羽高校が9年ぶりの甲子園出場を目指し京都外大西高校との一戦に挑みました。一進一退、一時も目が離せない展開。ベンチ内に選手たちの気合の入った声が響く。勝利への執念、一つ一つのプレーに球場内が息を呑む。延長11回表、立て続けに点を取られた鳥羽高校は、あと一歩のところで勝利を掴むことができませんでした。
選手たちと共に戦った松下監督の表情に悔しさがにじむ。一年後の夏、最後まで勝者であるために、新たなチームづくりが始まりました。
―やりがいを感じて指導者に
道具を買ってくれた父、野球を教えてくれた叔父の影響で、野球を始めた松下監督。高校は峰山高校へ進学し、高校2年の春には控え選手としてセンバツ甲子園を経験。地域一体となった応援や支援に、野球がもたらすエネルギーを感じた一方で、自身の活躍機会がなかったことに、もどかしさ、悔しさが心に残る高校時代、中学校の教諭を目指し大学へ進学。「指導者として高校野球に携わりたいと思うようになったのは、大学でハイレベルな野球に触れたこと、峰山高校での教育実習で感じた〝やりがい〟〝充実感〟がきっかけ」と話す松下監督は、大学卒業後すぐに母校峰山高校で監督を経験。当時を「とにかく若さで突っ走った記憶しかない。必死で勉強して、チャレンジしての繰り返し。少年野球時代の恩師の長谷川さんや峰山球場管理の中道さんなど多くの方に支えられ、何とかやれていたと思う」と振り返りました。
―目指すべき大きな目標
鳥羽高校に赴任し野球部の部長となった松下監督は「当時監督だった山田知也(やまだともや)先生の〝監督2人体制〟という方針で組織的なチーム編成、試合運営に取り組みました。京都でも珍しかったです。転機は平成23年の近畿大会、強豪校の体つきとスピードに圧倒され、食育と体づくりに目を向けるようになりました。翌年のセンバツ甲子園では、対戦した聖光学院(福島)の空気感に惹かれ練習を視察。本気のミーティングと人づくり、覚悟を決めた物事への取り組み方を目の当たりにし、人間力、組織力といった部分にも目を向けるようになりました」と話し、その結果、上位進出を目指せる負けにくいチームに成長してきたことを実感する。鳥羽高校で監督就任6年目、監督として出場経験のない甲子園を〝目指すべき大きな目標〟と表現する松下監督は、甲子園出場を目指して入部してくれた選手たちの努力や思い、背景やドラマがあることを受けとめ、共に甲子園出場を実現するため、選手たちと日々向き合い、監督としての成長も意識し取り組んでいます。最後に松下監督は「これまで野球を通じて関わってくれた多くの方々のおかげで今の私があり、その原点が京丹後にある。そのことに感謝し、これからも教育と高校野球の現場で頑張ります」と締めくくりました。
▽松下浩司 Kouji Matsushita
峰山町出身。現役時代は捕手。峰山高校2年生で控え選手として春の甲子園を経験、翌年、主将として活躍。大学卒業後は母校峰山高校で監督を務め、鳥羽高校では10年間部長として山田監督と共に戦い、甲子園出場は春夏1回。現在、監督6年目
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