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《特集》古代の息吹を感じる 京たなべの集落遺跡(2)

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京都府京田辺市

■〔Interview〕考古学者の声
〔同志社大学歴史資料館 若林邦彦 教授〕
『5年前に京都木津川マラソン大会に参加したことをきっかけに、毎年1・2回、フルマラソンに挑戦しています。』

~物々交換が重要な弥生時代は人間関係が大変だったかも~
◇研究内容は
弥生時代の遺跡や土器から、集団同士やその中での人々の関係性などを明らかにする研究を行っています。有名無名に関わらず、多くの遺跡データを扱っており、「ここには遺跡がない」という情報もこの研究では重要な要素だと考えています。たくさんの情報を積み重ねることで遺跡の分布が見えてきて、昔の地域の姿が復元できます。そこが考古学の魅力であり、そういった特長を生かして、地域の皆さんに分かりやすく地元の歴史を伝えることが大切だと考えています。

◇考古学に携わることになったきっかけは
こどもの頃から歴史が好きでした。そして、同志社大学に入学した際、考古学が盛んで仲間と一緒に発掘調査をすることが自分に合っていたので、考古学を学び始めました。

◇印象に残っている発掘調査は
唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡(いせき)(奈良県磯城郡田原本町)の発掘です。出土した土器や石器、木製品、動物の骨、種子などの物量が圧倒的で、とても印象に残っています。現場が低湿地だったため、保存状態が非常に良く、昔のままの姿を目の当たりにできました。写真などで見るのとは違い、出土品がリアルに感じられるのも、発掘調査の魅力です。
今まで数多くの発掘に携わってきましたが、どれも貴重で素晴らしい体験でした。

◇本市の弥生時代の生活は
稲作農耕が始まった時代で、狩猟・採集・漁猟も営まれていました。田んぼの管理のため、人々は水田の近くに住み集落が形成されました。
収穫や狩り・調理などで欠かせない石器の素材などは、和歌山や丹波、二上山などの石の一大産地から交易を通じて入手していました。当時、市場といったものはなかったため、地元で手に入らない物は、親類・知人らと物々交換するなど、人間関係が非常に重要だったと考えられています。生きていく上でコミュニケーションが必要不可欠だったため、弥生時代は我々がイメージするのどかな雰囲気とは異なり、ストレス社会だったかもしれません。

◇本市の弥生時代の特徴は
発見されている弥生時代の遺跡数は少ないですが、平地に住んでいた人々が後期には田辺天神山遺跡のような高地に移動し、次の古墳時代には再び平地が主体になる動きがはっきり分かることが特徴です。また、後期には9つ程度(今の小学校数)の集落が存在しており、古墳時代には3つ程度(今の中学校数)の範囲ごとに古墳が造られたと考えられます。

◇市民の皆さんに一言
京田辺市の歴史は、調査の集積によって明らかになってきています。皆さんが住んでいる地域に存在する遺跡に足を運んだり、出土品を見たりして、歴史を身近に感じてください。

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