■宇治に残る源氏物語の世界
[沼ポイント3] 宇治十帖の聖地巡礼
源氏物語は全五十四帖の長編からなり、作者の紫式部が活躍した平安時代の貴族社会を題材にした物語です。最後の十帖は宇治を主な舞台としていることから「宇治十帖」と呼ばれ、主人公は光源氏の子・薫と孫・匂宮の次世代に変わります。市内には、それぞれの話にふさわしい場所を古跡として定め、石碑が建っています。今回は5つのポイントを紹介します。
▽人物相関図
※詳しくは本紙をごらんください。
[要チェック!]
古跡の近くや道中には、道案内のプレートが道路に埋め込まれています
◇第47帖 総角(あげまき)
大君に求婚を断られた薫は、大君の心を変えようと匂宮と中の君を結び付けますが、次第に匂宮の訪れが途絶えます。妹の不幸に苦しんだ大君は絶望のあまり病気で亡くなりました。
大吉山の登り口に古跡があります。「総角」は、薫が大君に求婚した和歌「あげまきに長き契りをむすびこめ おなじところによりもあはなむ」に因んでいます。
[後継者争いから脱落した八の宮が、ひっそりと暮らしていた山荘はこの辺りにあったと想定されています。]
◇第48帖 早蕨(さわらび)
宇治で悲しみの日々を過ごしていた中の君を匂宮が自分の屋敷に引き取ります。しかし、薫も大君の面影がある中の君に秘めた思いを抱くようになり、薫と匂宮は互いに嫉妬心が芽生えます。
宇治神社の北側の「さわらびの道」の中ほどに古跡があります。「早蕨」は、父・姉を失った中の君が悲しみを詠んだ和歌「この春はたれにか見せむなき人の かたみにつめる峰の早蕨」に因んでいます。
[古跡は大吉山山頂付近や宇治川左岸に置かれたこともありました。]
◇第50帖 東屋(あずまや)
縁談が破談となった浮舟は、中の君のもとに身を寄せますが、偶然居合わせた匂宮に強引に言い寄られ、心配した母により、三条の東屋に身を隠します。薫は亡き大君に似た浮舟を連れ出し、宇治に向かいました。
京阪宇治駅の東南にある東屋観音と呼ばれる石像が古跡です。「東屋」は浮舟の隠れ家を訪れた際に薫が詠んだ「さしとむるむぐらやしげき東屋の あまりほどふる雨そそきかな」に因んでいます。
[「東屋」とは簡素な造りの住まいを指しますが、近年では庭園等にある休憩用の小さな建物を指します。]
◇第52帖 蜻蛉(かげろう)
薫・匂宮との三角関係に悩む浮舟は姿を消してしまい、入水したと噂になりました。匂宮は悲しみのあまり病気になり、薫は宇治の三姉妹(大君・中の君・浮舟)とのカゲロウのように儚い関わりに虚しさを募らせました。
源氏物語ミュージアムから三室戸寺に向かう小道にある、阿弥陀三尊が線彫りされている自然石が古跡です。「蜻蛉」は、薫が三姉妹との因縁を詠んだ「ありとみて手にはとられず見ればまた 行く方もしらず消えしかげろふ」に因んでいます。
◇第54帖 夢浮橋(ゆめのうきはし)
浮舟の生存を確認した薫は浮舟の弟に手紙を託し、対面を試みますが、浮舟は拒みます。そこで薫は「誰かが浮舟をかくまっているのではないか」と思ったところで物語は終わります。
現実に存在しない橋ですが、橋で始まり橋で終わる宇治十帖を締めくくる古跡として宇治橋の西詰に石碑があります。
▽宇治観光ボランティアガイドクラブの山本亙(やまもとわたる)さん、木村忠寛(きむらただひろ)さんにお話しを伺いました。
・宇治の魅力とは
[山本さん]コンパクトな地域に、寺社や文学・お茶のような世界的に有名な物が存在し、歴史の深さが凝縮されているところだと思います。その分、知らない事がたくさんあるので、日々勉強して知識を増やしています。
・ガイドをする際に心掛けていること
[木村さん]説明を聞くだけでは分かりにくいこともあるので、出来るだけ身近な内容で分かりやすい説明を心掛けています。
[平安時代の遊び等、体験型の内容もありますので、ぜひガイドをご利用ください!]
※詳しくは本紙をごらんください。
問合せ:
・観光振興課【電話】39-9408
・秘書広報課【電話】20-8704
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